万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

探偵小説の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

今日は平常運転ということで、通学がてらにブログを書いているところだ。
しかしゆっくりとした朝でこれといった話題も思い浮かばないものだから、先だってから話そうと思っている探偵小説の話をしよう。

探偵小説が何かというと微妙なところである。一般的には事件が起きて、それを探偵役の人物がその事件の真相を暴き出す、という単純な筋書きだ。そのもっとも知られる例は殺人事件で、複雑で猟奇的であればあるほどよい、という傾向は見えなくもない。犯人の正体を読者自分で割り出させる小説なら「推理小説」という名前が適当だろう。
しかしすべての事件に犯人があるわけでもなく、殺人である必要性もないからたまに
「ミステリー」という称号も与えられる。また、そもそも探偵が出てこないが事件が起きて、読者自身が段々と著者の書き順に沿って自然とその真相に気づく、というたぐいのものもある。湊かなえ先生の「Nのために」がこのようなものだろう。またとりわけ犯罪そのものに注目するものは「犯罪小説」とも呼ばれるし、こうなるとテロリストや犯罪組織の摘発に働くCSIなどもこの類だから結局分野的にはイメージで来ていても「この本はこのジャンルだ」とは言い難い。ミステリーな要素を持ちながら書かれた純文学もまた可能だろう。

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そんな定義などは置いておいて、自分は幼い頃から父の影響で小説を読むようになったし、その中に探偵小説が多かったのだ。平日の夜、週末は時間帯を問わずソファで本を読む父の姿はここ15年多分ほとんど変わっていない。父が読むのは特に80年代ものからイギリスや北欧から入ってきた「犯罪小説」に近いもので、推理小説、クイーンだとかクリスティーだとかにはさほど興味ないように見えた。しかしテレビドラマのMidsomer Murders、MorseやLewisの大ファンではあったし、うちは毎週水曜の夜にやっていた探偵ドラマを家族で見る習慣もあった。

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だからオランダ語や英語で推理小説に近い作品はいくらか読んでいるし、有名どころのクリスティーなどは読了し今は本棚にて眠っている。日本の推理小説に触れたのは正直言うとアニメ経由だったことになる。今でも愛読している京極夏彦森博嗣の両氏の初期の作品がアニメ化され、アニメの作品をスキップしてシリーズに入った。京極先生は「姑獲鳥の夏」、森先生は「冷たい部屋と博士たち」で、3年もたたないうちにどちらも読了してしまった。それだけでも私の執着は伝わるだろう。

しかし日本の推理界はまだ深い。日本についてから東野圭吾の人気に気づき、今や父もその本のオランダ語訳を読んでいるくらいだからすごいものだ。自分がいいと思った作品が広まるのはいいことと思うし、ぜひ将来的にもそれを推進するための布教活動を心掛けたいものだ。それともあわよくばそれを仕事にできたら本望だろうなー。

しかし、それはまた別の時の話。