万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

落語の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

先日は大学でのよさこいの話しをしていて(まあ、これからも話すことあるのだろうけど)、去年の今頃は完全によさこいを辞めてしまっていた。2016年の10月から大学の推薦を得て、晴れて天下の京都大学に留学を許されたから、オランダでやったよさこいとは違うことに精を出してみたい、という気持ちはあった。半年間は大学生活で忙しくて、創作サークルというよく分からないヲタクの集まりの一員としてダラダラと過ごしていた。そしたらなんやかんやあって、いつの間にか春休み終わって新年度だった。
そこで京都大学のくすのき前の新歓パレードの中で見つけたのは、「落語」だった。

最も、これが落語との出会い、というわけでもない。具体的にいつから知っているかは中々思い出せないが、二年生の冬に名の知らない落語家がオランダを訪れて、噺を披露しその後大いに酔っ払った、という当時の話は覚えている。それに教科書にも入っていたし、関心はあったにはあった。たった一人の人間でやる劇、必要とするのは座布団とセンスと手ぬぐいのみ。そこには素朴な浪漫があった。しかしそれよりも大きかったのはその頃やっていた「昭和元禄落語心中」というアニメだったが、これがまた好みのアニメーションによきサウンドトラック、好きにならざるを得ない作品だった。そこで初めて知った話がおそらく「死神」だった。これが今でも好きな噺で、色んな場で素人ながらもその話をしてきた。

そんなこんなで2016年8月。長崎での留学は当時熱を入れていたのが文芸部とよさこい部で、考えた末に落語部への入部を断念したが、また妙な縁で名古屋・東京でホームステイに誘われることになった。東京で教養のある初老夫婦に迎えいられ、落語の話を
したら、「じゃ、見に行きますか」という軽いのりでいくことになった。その日は大変な台風で昼間はリオのオリンピックを見ながら暇を潰し、よるになって漸く晴れたものだから向かった場所は新宿の末広亭

小田急線で経堂から新宿へ行って、伊勢丹の地下通路を通って、やがて地上に出たらこれはもう大変な人出。今でも当時の地形が心の目に浮かぶようだ。その何日か間で利用した地下のチェーンコーヒー店の背の高い女性店員が可愛かったとか、ゴジラをはじめてみたときの驚きとか、雨の中で漸くの思い出たどり着いたブックオフとか、サラリーマンばかりが並んでいる立ち席しかない250円の狸うどんを提供するうどん屋さんとか、とても3日4日とは思えないほど濃度のある時間だった。その中でも末広亭は感慨深い。

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路地裏に入って、ビラ字に並ぶ演者の名前、提灯の煌々たる明かり、向かいには少し怪しく見えた呑み屋が立ち並ぶ。ここが大衆の町ということは雰囲気で分かるほどだ。ホームステイ先の初老の夫人と一緒に入って、チケットを買い、弁当をご馳走になったのは確か6時ちょうどだったろう。そこからはもう眼を見開き、耳をそばだてるばかりだった。途中で夫人は帰ってしまったが、私は4時間席から離れずにいた。その日に聞いた話の名前を知ったのはそこから半年たってから、京都大学落語研究会に入ってからだったのだ。

しかし、それはまた別のときの噺。

追記:この話は全然終わりそうにないから、切りのいいところでもないのに切ってしまった。全く字数を守るのは大変なことだ。