万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

出身の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

今でこそこうして日本語で文章を書いたり日本人と交流したりしているようになったのだけれど、もちろん元からそうだったわけでもなく、そうなる必然性もまた全く感じていない。ただ自分の欲に従い、ここまで来られたと思っている。しかし人間は誰しもが原点を持っていて、長じてからどうしたとは別の所に「出身」があらかじめ決まってある。英語ではNature and Nurture、生来もっているものと教養を受け身に着いたものだ。その中で最初やってくるのは産まれた環境、すなわち出身である。

f:id:yorozuyawakarando:20180515014219j:plain

私はオランダではまあまあ大きな都市、アメルスフォールト市で生まれてきた。当時は大規模な新住宅計画が上がっており、自分の周りの町は様々な面白い建築物がみられる、それなりに珍しい町だ。というのも、ある程度建築家たちは自由奔放、気の向くままに設計してきたからかなり前衛的だと思う。また、地理的にオランダの交通の網の真ん中に位置するユートレヒトから十五分で立地がよく、母も鉄道関係で働いていたから都合がよかったのだろう。また父はまだ小学校の一教員だったものだから仕事できる場に困らず、両親はおそらく時期がよかったものでローンで家を購入した。家の周りに水が多く、近所の商店街は湖のほとりに造られていて中々に風情ある。駅は旧市街の方にあって、自転車で20分ほどで行ける距離だ。それが私の生活環境だ。

そんな状況の中で、結果的に私は今までの22年の人生を20年以上住んでいる。というのも、大学に入学しても一人暮らしせず、電車で毎日1時間半以上の片道を通い続けたわけだ。当初は一人暮らしをする気にならず、気が付けば機を逸していた。そして一年半過ぎたころには留学が待っていたものだから、実は長崎が初一人暮らしでもあった。

それだから実に長い間、毎日同じ通学路を通っていたことになる。中学校・高校が一緒であるオランダでの私の中等教育の校舎はまさに駅から丘を登ったところにあり、結果的に言えば現在まで8年以上同じ通学路を毎朝毎朝見ている。それでも時間帯も一緒に通う人も何もかも中学校とは違うものだから、意外と飽きないものだ。そのせいか、季節の変化に敏感になった自分に気づき、前の二年の春を日本で過ごしたせいか、オランダの春が一層清々しいものと感じる。

さて、それでなんだという疑問は諸君らにはあるのだろうけど、それは私も同じなのだ。人間は物事を美化したり、また悲惨に語ったりする習性があるのはみなまで言うことでもないが、私の場合どんなに学校や交友関係、家族関係を見つめても「日本」という言葉はおそらくでてこない。出てきたとしたら、それは偏に自分の影響だと心得ている。なら私は生来そのようなものに揺らされない、強固な意志を持っているかというのもおかしな話だがね。この場合は図々しく、自由意志とでも呼んでおこう。その方が楽観的で好ましい。

しかし、それはまた別のときの話。