万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

果てしない物語の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

先日は文豪の話をしたのだが、文豪だけが文学ではないことは当たり前なのだ。
そして本を読むものとしては自分の人生、生き方を左右してきた本の存在もまた条理に適っている。それは客観的からは程遠いだが、読書をするものとしてある程度評論家の役をせざるを得ないし、自分の経験を語る上では不可欠だろう。ゆえに今日は私の原点ともいえる小説の話をしたいと思う。

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その名も「果てしない物語」でもおそらく分かるように、かなり王道なファンタジー小説である。1979年に出版されたドイツのミヒャル・エンデ氏の作で、瞬く間にファンタジー会を虜にして、和訳が1982年、映画化がネバーエンディングストーリーとして1984年に上映していたため、おそらく日本をはじめとする世界各所にファンがいると思う。ではなぜこれが原点なのかというと、両親がこれを読んでおり(また映画を見たかもしれないが)、主人公のバスチアンの名前にちなんで私をセバスティアンと名付けたというところだ。しかし、それだけではなく、私はこの本を子供の頃に貪るように何回も何回も読んでいるため、自分の精神の一部となりて染みついたから原点といえよう。

ではどういう話かというと、覚えている限りであらすじを話そう。ネタバレには気を付けるつもりだが、やむを得ない時もあり、また自分の言いたいことを言うのに必要な場合は遠慮なく書かせてもらうからそのつもりで読んでおきたまえ。

ある時、バスチアンという少年がいた。彼は事故で母を失い、悲しみ狂う中ふと入ったのがある古本屋だった。その古本屋で双頭の蛇の紋が刻んである一冊の本を見つけ、店主にいただく。いじめで毎日の生活がつらく、学校の屋根裏部屋に逃げ込んだバスチアンはそこで本を読み始める。

この本の内容は、英雄アトレユが滅びゆく世界を救うものを探す冒険の話である。彼らが住むのは人間の空想からできた世界で、その姫たる存在が中枢にありて人間の想像力を原料として世界を有らしめる役目を持った。しかし姫は病気に伏せり、空想世界の医師らでは決して救えない。

そこでバスチアンはそんな世界を救おうと、現実離れしながらも思ってしまい、本の魔法をもってその世界に飛び込むことになる。(思えば日本の異世界物よりはるかに先に書かれているわけだから面白い)別世界から来た客人のバスチアンは姫に「月の子」と新たな名前を授け、空想世界を救い、そしてその王となる。自分の領分を旅し、ほろびを正そうとし、また冒険しながら仲間を増やす。しかし、最後に思いがけぬ試練が待っているだろう。

クリフハンガーもいいところだが、さすがに全部をばらすことは忍びない。それに、こう話したものの、色彩の鮮やかな冒険を読むのもまた良いのでぜひこの機会に読んでみてほしい。最後に言うと、この小説はデザインも工夫が凝っており、空想世界と現実世界が赤と青と文字が色分けされていたり、各章の頭文字がアルファベットの装飾された大文字であったり、子供の想像力を刺激するに足るものである。書けば書くほど、今でも手に取って呼んでみたい気持ちになるからやはりこれが私の一つの原点なのだ。

「果てしない物語」というタイトルだが、実に複数の物語が織りなされて、「すべてを語ることに及ばず」という意味で和訳では「これは別の物語、いつかまた、別の時にはなすことにしよう」というセリフがちょくちょく出てきており、本好きの本文を著わすようだから拙訳させてもらっているわけだ。

しかし、それはまた別のときの話。