万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

教師の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

今日はなんと床屋の待ち合い室にて書いているのだ。休日は時間あるようであっという間にすぎるからとりあえず時間を無駄にすることは防いでおこうということで、昨日思いついたことを書いてみたいと思う。

実は、私は去年の9月から今年の1月にかけて、つまり一学期の間中うちの日本学科でスチューデントアシスタントなるバイトをしていた。これはなにかというと、要は先生がたの負担を減らすために作られた大学側の制度で、私の場合は聴解の授業を週四時間ぐらいやって、試験期間は監督したり、また採点だったり成績記入したりしていた。その過程で (本物とはもちろん違うが) 教師という職がいかなるものかを垣間見えた気がする。

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うちは父が小学校の先生で教育には興味があったが、それがどういうものなのか、バイト始める前ははっきりしたイメージはなかった。先生に勧められて応募し、採用されて初めてわかったものばかりだった。日本語にしても少しやったことある子と全然ない子がいてそこに軋轢があるとか、先生が間違えたりしたら生徒がどれほど困るとか、そもそもどうやったら面白くためになる授業を教えられるとかも、全くしらないものだった。

しかしそれはある程度は当たり前で、誰もが最初はやろうと思っていることが即座にできるはずもない。自分を疑うこともあるし、聞き間違ったり生徒の名前を忘れたりして恥をかくこともあった。遅刻して申し訳ないと思った時もどうしようもなかった。しかし、これらは後からみてよい経験であったに違いない。

ことに試験に関しては戸惑うばかりだ。というのも、一年生の授業を教えているわけだから、年は3つ、4つ違ったり、それとも生徒の方が年上 (一人 50歳を越えた人もいたぐらいだ) ということもある。そんなわけで自然と友達になるひともいるし、とりわけよさこいの後輩とは普通に中がいい。

そんな子たちの試験を昨日採点している時、この知識をどうするべきかを散々迷った。担任の先生が採点し、私が成績を書くわけだから不正な行動は起こせないし当然起こさないが、先生の方はそこのところをどう割り切るのか、始終気になってしまっていた。そもそも後輩に自分が採点したと教えたのが間違いか。成績を他より前に教えたらダメだろうか。けっして公平とは言えないが、その葛藤を知ってるがゆえに褒美を与えてやりたいのも人情。しかし、他の子たちも頑張ってるんだろうから、そうも考えん。

そんな時、目と耳に浮かぶのは先生の集中している顔と赤ペンが紙に触れる音だけ。それはまさに「正しい」と評したくなる光景だ。やっぱり尊敬せざるをえない威圧感のある「正しさ」はそこにはある。だから教えるのを辞め、とりあえずなるべく早く成績を記入することにする。

しかし、それはまた別のときの話。