万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

京極夏彦の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

今日は本屋にふさわしく、本屋の話をしておこう。というのも、今日5月21日はどうやら探偵の日なのであって、これ以上この人の話をするふさわしい日があるならそれはもはや妖怪の日でしかありえないだろう。知る人ぞ知る、京極夏彦先生の話だ。

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正直言って、これほど作風と風貌が合っている作家はいるのだろうか?

前回の探偵小説の話でも述べたように、私は京極先生の各小説をこよなく愛しているといって良いぐらいだ。それこそ、ここ三年でおそらく5000ページ以上(数えたことはないが、800ページ以上のものが8冊だか9冊だかあるのだから小差大同なのだろう)をたまに夜中の4時まで読み明かしていたぐらいだから、それはもう身にしみて、自分の日本語さえへもその影響力が及ばされていることだろう。元々オランダ語でも文章の一つ一つが長いと自覚している自分だが、京極先生の本を読むとそれが恰も当然のようなものだから脳への影響とは恐ろしいものだ。

さてこの京極先生は何ものぞよと思う諸君、よく読んでおけ。知っている人はおそらく「あの妖怪を扱う先生」として知っているのだろうけど、それは大方合っている。代表作である「京極堂シリーズ」は中善寺秋彦なる、おそらく氏の風貌や性格をいくらか受け継いでいるいけ好かない古本屋兼神主兼憑き物落しとその周辺にいるものたちが何事件の巻き込まれ、「京極堂」をあだなに持つ中善寺が精神攻撃と世界史・日本史・仏教宗教、郷土史・伝聞などの薀蓄を垂れながら事件を推理し、巻き込まれたものの精神にまとわり着いた闇を「妖怪」という明確な形にして、それを落とす。

こんな流れの小説を9冊ほど読むと、解説もたやすいものだが、多様な登場人物と毎回出てくるおなじみの顔も特徴だ。人の記憶を視覚的に捕らえる傍若無人な探偵、陰気くさい小説家、やくざ風のいかつい顔をした人情派刑事、敏腕編集者の女性記者など、多種多彩なキャストの心の変化を子細に描いたものと成っている。妖怪や地方の伝説、自社仏閣の言われや歴史と宗教の解説が長々と語れると、自分も恰もその場にいて講義を実際に受けているような錯覚さえも起こしてしまうで、それを書いた人物が実際そこまでしゃべるか気になるところだ。

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これがシリーズ本編で、外伝が別にあるという恐ろしい事実。

しかし、なにせあの厚さ。人をも殺せるほどぶあついというか、本よりも文鎮のようなもので、BookOffなどに行っても本棚の二列も占める圧倒的存在感。旧体字が不気味な妖怪の置物と並ぶ表紙はさすがに近寄りづらい。これぞ現代の文豪、なんて私は思うけど、一般人には読まれていないのだろうね。しかし、「魍魎のハコ」はアニメ化され、「姑獲鳥の夏」の実写映画化、Vertical社による「The Summer of the Ubume」は実際出版されており、先日「鉄鼠の檻」の漫画化も終わり、多メディアに根をめぐらしている京極先生作品に触れて欲しいのはファンとしての意志でもある。

なぜここまで嵌ってしまったんだろう、という事柄は往々にしてあるが、私にとってそれはまさにこれのことである。しかし、実際「魍魎のハコ」はまだ読んでいないのがだめなのだろうね。分厚いだけに今は読もうと思ってもスケジュール的に無理だろう。

しかし、それはまた別のときの話。