万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

amazarashiの話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

今日の話題は昨日に続いて日本にのめりこんだ理由の一つでもあるぐらい大事な事柄だ。書こうと決心したときおもわず「あれ? 本当にまだこの話題を出していないの? そんなことがありえるのか」と思うぐらい何年前から身にしみているその正体は、日本のバンドである。日本の音楽はさすがに人並みに好きで、特に王道のアジカンKANA-BOONBump of Chickenなどは普段から聞いているし、手島葵だとか林原めぐみとかあいみょんとか、女性シンガーでも何人か好んで聞く曲はある。しかし、それらをぬきんでて抜群にツボニ入ったのがほかでもない、amazarashiなのだ。

f:id:yorozuyawakarando:20180522214502j:plain

「無題」のPVより

はっきり言って私はamazarashiの人気のほどを知らない。イメージ的にはあくまで少し外道な感じがするからそう万人受けがよいというわけでもないというか、普通に知らない人が多い感じはするが、それが単に私が付き合う日本人が趣味が偏っていたのかもしれない。東京グールのエンディング曲である「季節は次々死んでいく」から入ったのだけれど、そのタイミングで知ったのはおそらく私だけではなかろう。

amazarashiのよさを語れば一夜明けそう。というか、カラオケ行って一晩中amazarashiの曲しか歌えないといわれても満更でもないぐらいだ。好んでやってやるさってほどだ。ギター、ベース、ドラム、ピアノ、ボーカル兼ギターというありきたりのラインアプウだが、その可視はもはや文学のレベルで小説と同じぐらい日本語の勉強になるものだ。同時に現代日本に生きるものの葛藤、ニート、フリーター、落伍者、いじめや受験競争、上京者の憂いなど社会問題や矛盾を扱った曲が多く、「こんな世界だけどいきてやる」と思わせるような曲風が個人的に響くものがあってよい。バンド名の雨ざらしも「雨にさらされながらも一所懸命に生きて楽しんでやる」という精神がでていて、つらいとき、悲しい時、むなしいときにふと歌詞が思い浮かぶことも、歌いだすときも少なくない。それにアルバムカバーアートもまた独特で良いんだから、もう好きにならない選択肢すらないぐらいだ。

しかしあの声はすごいものだ。渋くて、力強くて、不安と戦ってきたような声だ。去年の4月、大阪のなんばで念願の初ライブ行く事ができたのだが、ライブの方がむしろ圧迫感あって胸が締められるように苦しい瞬間が相次いでいた。そして、顔を極力見せず、語りもほぼしない。ライブのときしゃべったことといえば、新曲の「たられば」の説明ぐらいだが、始終緊張しきっていて18の少年のようだったから笑っちゃうけど、あれで立派なミュージシャンだから尊敬せざるを得ない。これでまた2週間後の6月3日札幌で見れるのだけれど、もう待ちきれないぐらいだ。チケットを立て替えてくれた先輩に大いに感謝なのだ。


おすすめロックバンド『amazarashi』人間のクズを立ち上がらせる音楽

それで実際の音楽の話とか、歌詞の話もしたいところだけれど、残念ながらそうしたら終わらない。好きな曲を述べよと言われてもはなはだ難しいのだけれど、強いて言えば最新のアルバムだと「悲しみ一つを残さないで」、古いほうだと「奇跡」や「命にふさわしい」「無題」などがそうだろう。もっとも、私よりずっとうまく説明できる、YouTuberの「さよなら、厭世観」って方がいるものだから、とりあえずリンクも載せておこう。

しかし、それはまた別のお話。