万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

韓国の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

今日はウィスキーのうまさ加減も手伝って、かなり遅い時におしております。
そこで普段から触れない話題が最近出てしまったようなので書いておくことにしよう。この話題はと言えば、韓国なのだ。

韓国という国についてはそれなりに知識を持っているつもりだ。それこそ、最前まで読んでいた坂口氏がずっと上代日本と漢ックとの関係も提示しており、去年は京都大学でコウグリ、クダラ、シラギの韓三国があり、日本と運命共同体で一喜一憂したり、仏教を輸入したりしたのはしっての通りだ。しかし、それと現在の韓国とは結び付かないのもまたしかり。

韓国の歴史といえば、統一しては侵入されて、侵入されては統一したりといった具合で容量が得ないものだ。一度歴史の講義を受けてみるのもあり得るのだが、それでもこの見解が消えることはなかろう。ハングルというものを発明しても第二次隊戦争に日本に占領され、大いに苦しんだことだろう。それが近代の韓国のイメージだ。

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しかし、現代の韓国に移ってみるとどうなるのだろう。K-POPに化粧品にMiraculous Ladybug など、日本のものと似通いながらも独自のカルチャーを気付き上げたのだ。自分も韓国学科の知り合いは学生同士で少なからずできたのだし、よさこい仲間でもK-POP好きはいるものだから曲を聴いたり音楽を楽しむこともできてよいものだと思う。それでも、韓国のイメージと問われても難しいものだ。韓国はキムチの国か、K-POPの国か、とれとも文大統領の国か、とんと返答ができないのだ。

それに対して、日本はどうかというと、これはこれで曖昧で大幅に向けていろんなものを発信している。遺産文化、アニメや漫画、芸者、寺社仏閣、和食など、一つの国のものとしてみるのはあまりにも隔たりがあるのに、それでも「日本」という括りの中に入ってしまうのはなぜだろう。学術者は「Soft Power」(柔らかい力)やクールジャパンなどと述べるが、実際問題として韓国になくて日本にあるものとは何なのだろう。これが日本を選んでしまったものとして割と悩まされる問題だ。

勿論、北朝鮮はこの件に関して避けて通れない問題なのだ。トランプと金正恩核兵器競争は激しさを減らす一方のが待望な今でも、問題で亡くなったわけではない。前学期受けたアジアにおけるジャーナリズムの講義でもやはりこれは問題視され、もう駄目だと思うのも、いや全然問題ないでしょうでも、いけんはだれしももたざるを得ない。しかし、中国もまた同様の立場だろうと踏んでも、これが経済的に(また国の面積も関係してか)重要視される。日本を選んだが、韓国はどうなの、と思わざるをえない。
それに、韓国人や韓国に興味を持つものはどうだろう、という点もある。

しかし、それはまた別のときの話。