万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

オランダと海の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

なにせ蘭が屋号なものだから、いつかは場を設けてオランダの話をせねばと思う。しかし前回の韓国でも感じたのだけれど、国を一般化することというのはできないもので、複雑にしようとしても全部を発信することもできない。オランダだけでもいえば、麻薬、チューリップ、風車、木靴と言ったありきたりの「有形文化」がポンと出てくるけれど、それでオランダを語ったといえるかどうかはまた別問題。

それに、やはり余人の知らないオランダの側面もすくからずいる。例えば、「海と戦った国」というのも私から見てオランダ人が認めるオランダの一部である。オランダが干拓を得意とするのはよく知られているが、そもそも海抜が低いから止むを得ずその必要性があったわけだ。「必要性は発明の父なり」とはまさにこのことだ。

Zeeland州、北オランダ州に南オランダ州はノースシーに面していて昔から海が今日であったことには違いない。ましてやロッテルダムアムステルダムやライデンなどの町は大体海に流れる川で海に通じており、片方でドイツの山からも長雨の結果で川が嵩を増して洪水被害が絶えない。今旅行で滞在しているZeelandもまたオランダ史上最大の嵐で1953年に大規模な洪水災害があり、今年がその65周年に当たり、追憶も盛大であった。Zeelandは水害に遭うだけではなく、水害に打ち勝ったとオランダ人はいう。追憶と相まって、人人を水害から救った勇士も歌われ、今は堤防のおかげでそのようなことはもう怒らないと自負する。Zeelandの標語の通り、「Luctor et emergo」つまりい「もがき、しかして浮上する」、オランダはまさに海と戦ってきた国だ。

 

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打ち勝ったどころか、飼いならしたとさえいえよう。Deltawerkenという、大規模な堤防が完成し、砂丘という自然の堤防をつくる技術にも長けており、海を湖と化したのもオランダなのだ。16世紀にスペインの王に謀反を起こし、独立宣言をした時のオランダは7州で、20世紀に入ったころそれは11州に分別された。ただし12州目のFlevolandはまさにオランダのど真ん中にあった大きな入り江、通称「サウス・シー」を干拓し、作られたものなのだ。そのため、こころらへんの町は戦後に設けられたものも多いわけだ。

余談だが、実は日本もまた干拓をよくする国で、江戸の町も沢が多く、平らな地域として長い間放置されれていたのだ。また、大阪の淀川も大規模な干拓が行われたが、これに当たっていたのはだれでもない、あの有名絵師「エッシャー」の父君だ。その前にも京都の南にあった巨椋池おぐらいけ)が歴史から消えたようなものだが、秀吉などの時代には勿論あったし、桃山と伏見にその光景が消えたのは私はどちらかといえば残念なのだ。

しかし、それはまた別のときの話。