万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

努力の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

先日(もうそれなりに前のことなんだけど)言語学習の話をしたとき、言語学習を甘く見ている人がいるを嘆いてみた。言語学習はしたいというが、それに行動が伴っていない、しかし他人の「できる」をすごいというところで止まってしまう。
そういう人たちが実際度の割合に存在するのかはわからないし、私が単に厳しく過ぎる目で頑張っている人たちを踏みにじっている、という見解もおそらく妥当なのだろう。
それでも、努力の話を一回させてもらいたい。

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私が大学一年生の時に取っていた会話の授業を担当していたのは、日本人の講師とその役目を補うような学生の助手であった。オランダの大学の学部は基本三年生なのだから、ほぼ例外なくその助手をやるのは3年生以上、または修士一年の学生だった。実際私も去年の9月あたりにこれをアルバイトとしてやっていて、今でもたまに手伝っている。この助手が事実上何をやるかというと、試験監督や聞き取り練習の指導なのだけれど、一年生にとってこれに当たる人たちは多分「先輩」という概念との初対面のようなものだから、私にとってもこの助手をやっていた先輩はいまでも尊敬の念を抱いている。

さて、話を戻すと一年生の時、私もそんな風に先輩と接する機会がいろいろあった。一番仲良かったのはモロッコ人の2世の人で、どちらかというと第一印象は「チャラい」という一言に尽きる。けどそこで終わることはなかった。彼は助手もやっていたが、同時によさこい部の先輩でもあり、そこでダンスの指導をする練習部をリードしていた。最初のイメージとはかなり隔てているが、彼は私の認識では俗にいう「努力の天才」だ。よさこいの自主練も、積極的に日本人と話したりするなど、いまでもその姿を思い浮かんだら学べることが多いと思える。そんな先輩が五日の授業に教えてきた一句がある。島津だか鍋島だか覚えていないが、おそらく日本人なら誰でも聞いたがあるであろう句なのだ。

なせばなる

なさねばならぬ

なにごとも

なさぬはならぬ

ならぬは人のなさぬなりけり

おそらく字余りで覚え違いもあると思うけど、私にとってこの句は「努力すれば報われる。逆に努力しない人はどう嘆いても報われない」という、本当に単純明快なメッセージを明朗に表していると思う。自分が行動起こせば、他の人も動く。行動を起こさなければ、おそらくどんなに待ったとしてもなにもおこらない。起こったとしても、それは過去の自分の興した行動に起因するに違いない。

そういう意味でこの法則には二面性がある。片方では、頑張れば必ず報われるという、一種の安定感。片方でスランプになってしまったら出られなくなる、という恐怖の予感。沼にはまってしまったら、努力をすること、やりかたをなくしてしまったらもう駄目だ、と思ってしまう。しかしそこもあくまで行動を起こさない限り何も変わらない。悪い方向に転換したとて、変わらない、沼状態よりはよっぽどましだと、私なんかは思う。

だから今の半年は大学が一段落し、生活リズムが激しく変わるだろう時期に、ブログを書こうと思った。努力することを怠らないように。自分が動かないと世界も動いてくれない、という確固たる心理を自分に言い聞かせるために。

しかし、それはまた別のときの話。