万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

カルチャーショックの話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

なぜか、どんどん最初の頃の趣旨である「話題を決めて毎日書こう」から遠ざかっているようではあるが、それでもブログ書きはそれなりに楽しい。なにせ自分の考えの整理などにも役立っているのだ。昨日の時点で不透明だった思いが、今の今となって結晶し、言葉にできるようになる。それがどういうプロセスなのかも興味はなくはないが、とりあえず今はそのアウトプットに焦点を当てよう。

オランダ人、いや、日本以外の国から日本に移ると、俗にいうカルチャーショックを経験するものが多い。それもそのはずだ。食べ物や音楽、文化が違うだけではない。広義の文化、つまり日常そのすべてが別の摂理で成り立っているようなものだから、それが一緒なら国というシステムが必要でなくなる日も近いだろう。だけれど自分としては、日本学科で勉強し、それなりにオランダで日本人留学生と交流したり、日本文化を勉強したりしたから、当然のようにウィスキーのCMをとるために日本にやってきたハリウォッドスターなどと比べてカルチャーショックは小さいだろうと思っていた。

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しかし現実はそう甘くない。上の通り、カルチャーショックは別に「寿司食べれるの?」「箸使わないの?」といったチンプで粗雑な例ばかりではなく、習慣や生き方、会話の成り立ち、身のふるまい方など、とても曖昧でいて大切なところなどこそに現れる。

長崎に着いたころの私はだから、学校が始まる前の二週間は時差ぼけと戦いながらとりあえず街を歩き、何をするでもなく日々を過ごしていた。まず何をすればいいのか分からず、日本語出来ていても外食するために知らない店に入る度胸もなかなか出ずに、すき屋ばかりを貪るように食ったように思う。そしてベッドに寝転がり、銀魂を見て20時ごろに寝てしまっていた。

つまり、何が言いたいかというと、表立って「ショック」を受けていないにせよ、知らない国で特に目的もなしに放り出されると、人間だれしも心に違和感を覚えるだろう。勿論その二週間は飛ぶように去り、学校が始まってから順応も早かったが、体が慣れるとともに精神も順応期間を要していたようだった。

新しい環境において、自分が持っていたはずのスキルが通じないことは、私はその時身をもって実感した。実感はしたが、そこで終わったら元も子もない。結果から言えば長崎でできた友達はどれもあいまいな感じで、心通わせないままお別れを告げなくてはならない相手が何人いて、やはり心苦しい。もっと仲良くなりたかった、もっと一緒にいて面白い経験をできたろう、などとも思って、だからこそ京都の方で頑張ったこともある。だから京都の方での順応はそれなりに早かったし、「腕に覚え在り」という感じさえした。

しかし今度は逆なのだ。京都から帰るとすでに三年生、卒業間近、同期生は卒業組、留学組と就職組でバラバラ。国同士ではないが、これもやはり昨日言ったような意味でのカルチャーショック。その上、今度は旅行から帰ってくるなり、学部と大学院の間にポンと空いた「フリーター」という名の半年間。これはまたとんだ違う「文化」に足を踏み入れてしまったようだ。いやはや、同じような話題でつらつら書いてしまって面目ない。それもこのブログの趣旨に合っていることだろうな。

しかし、それはまた別のときの話。