万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

卒業の話をしよう

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ブログを始めた頃、今からおそらくそろそろ二ヶ月前、私は「進路」の話しをした。
今の自分の見える道はこうだ、こう進めばこうなるだろう、とその時私は思っていただろう。しかし、時間の流れは確実で残酷だ。そして昨日、私は卒業申請書を出した。

大学を卒業するにも書類がいる、なんてのは当たり前だろうけど、変なものだ。そもそも大学のほうで保管している情報を自分で引っ張り出し、もう一回向こうの都合のいい要旨にまとめるものだから、大して時間がかかる作業ではないが、不必要に思えるほど冗長的だ。

そこに意義があるのなら、それは反省を促されることだ。自分はこの四年、こんなことをやってきた。こういう結果を残した。それを一つ一つ考えていきたいにも、当時はそれはそれで精一杯で、きちんと反省できる前に終わってしまった講義なんてざらにある。後から見て微妙な科目もあれば、全部終わってから「なぜこれをやらなかっただろう」というものもある。私ニットテそれは最近労働環境と就職活動方面だが、やはり間近まで来ないと興味を持たないものなのかもしれない。

卒業したら、私は(一時的の予定にせよ)フリーターになる。これは正直私にとって酷く不安で不安定な心持ちで、頑張っているにせよはたして自分の今の頑張りの度合いでやっていけるのか、とふと心が冷えるように寒くなるときもあれば、過剰に今の自分の抱えているものを自負してしまうこともあろう。それが多分今の私にとっての「社会人」というものだ。でもやはり後ろ盾をなくしたようで(実際なくしていないだろうけど)心細いものだ。心細いから躍起にならないように気をつけよう。

といっても、卒業は確定したとはいえ今はまだ卒業論文の成績待ちという状態で、実際の卒業式はなぜか例年によって学年が始まってからの10月なのだ。晴れ姿で胸を張って立てるまでまだまだ3ヶ月あまり。よさこいチームとして毎年その場で躍らせてもらって新入生のデビューの場でもあるから、中々感慨深いものだ。あの先輩も、あの人もが立っていたあの場に次私が立つという実感はおそらく、その時になってはじめて湧く。そしてその時、はっとなにかが終わって、何も終わっていないということに気づくだろう。

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ちなみに、余談になるが、オランダの高校生最後の統一試験に合格して、卒業が確定したころがちょうど今なのだ。日本と違って学年が9月に始まり、6月中旬にほぼ全部終わってしまうのだが、高校三年生は5月に試験に挑み、今ごろ合格通知をもらうのだ。そして、めでたく卒業が決まったあかつきに、家の前に掲げている旗ざおに、高校ずっと使っていたカバンを掛ける。「これはもう要らない」といいたげに。オランダの習慣のよしあしは当人の私でもよく分からないが、これは中々かわいげがあっていいと思う。今日の配達中に見るとなくそれと見ていて、無関係な自分まで心が晴れるようだ。

しかし、それはまた別の話。