万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

村上春樹の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

札幌で踊った後、私はしばらく旅行を続き、歩いたりはしていたのだけれど事実上「運動」をしたのはその翌週の「百物語」さんの練習だった。これは中々タフな人たち名集まりなわけだから、3時間あまりは身体を動かしてもらった。その後の水曜日に帰国し、木曜にどうやら心細い思いでとりあえずライデン市に向かい、練習に加わった。
しかしいずれにせよ、札幌を境に自分の運動の量と質が減り、時差ぼけも手伝ってか木曜日の練習はすっかりへばってきた。なので今日「そろそろランニング再会しようと思い至った。

前置きは長くなったが、今日適当に走ってふと思い出したのが誰でもない、あの「ノーベル賞、果たせるか!?」の村上春樹。氏もボストンマラソンを初めとしてランニングの分野でも先輩に当たるわけだけど、勿論それよりも文学の方で多大な影響を受けてしまっている自分がいる。

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村上先生と自分の関係性を説明するのは容易ではない。いや、実は容易だが。。
前にも述べたろうが、私が最初に手にした日本の作家の手による作品(というのが正しい言い方だろう)が氏のノルウェイの森だ。ちなみに、記憶が確かであれば煮込めは高見広春の「バトル・ロヤール」のはずだ。といっても、勿論この二つの作品は中学校三年生か、高校一年生の頃に読んでいたものだから、日本語ではなくオランダ語、または英語で読んでいたものだ。そういうことだから、今でもハルキ・ムラカミと逆読みしてしまう癖は消えない。

還元すれば、自分と日本語の小説のファースト・コンタクトは村上先生であったわけだ。それはもう中学生の自分に夢溢れる話だった。一人暮らし、自殺、精神不安定、大都会、セックス。。中学生は奉公は兎も角として激しく偏っているものを好むように思うが、これが嬉しさでも悲しさでも然りだ。つまり、自分に直接関係の無いものを面白がる、先天的野次馬なのだ。と、いう三下のくだらない自己解析を試みたところで、なんになるんだろう。ともかく、私は村上先生の書く本にぞっこんだった。

三年余りの後、高校の卒業旅行の途中で、アメリカのロスの紀伊国屋で村上先生の新作「女の無い男たち」を購入。当時はおそらく漢字が読めても理解はできない状態だったんだろうが、自分の意思で選んだ日本語の小説を買ったのがあれが最初だった。ところで同時に購入した漱石の「吾輩は猫である」は未だに読了せず、貸し出し中である。

そういうわけで、私は大学二年の頃まで村上先生の本をむさぼるように読んだ。「騎士団長殺し」も「ラオスにいったい何があるというのだ」なんてのも読んでいるが、読んでいる途中でイヤになったというか、痺れを切らしたというか、読む気が段々と失せた。段々彼の書く文章が苦手になってきた。自分の日本語力が上がり、文章の違和感に気づいたか、というのもあるし、単にほかの日本語の小説を読み、自然と比べるようになったのもあるのだと思う。

そこからは村上ファンから「ちょっと苦手かもしれない」に落ち、ついぞ「あ、そういえば今年何も読んでいない」という状態になったのだ。まあ、あらかた読んでいるから仕方が無いとも思うがね。それでも「好き」から「嫌い」、そして「無関心」へ、自分がまるで恋する乙女の片思いを経験しているようで甚だ滑稽だ。それでも、原点は原点である。健康で執筆を続けて欲しいものだ。

しかし、それはまた別のときの話だ。