万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

お笑いの話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

まず、全日本人にお悔やみ申し上げよう。歌丸師匠ことカツラ歌丸は個人的に落語を本気でやっていたあの5ヶ月ほどの間、一番安定感があって聞きやすい落語家だとずっと思っていて、一度も尊顔を見れずにあの方が逝ってしまったことは本当に遺憾に思う。
歌丸師匠なき今、落語協会もいざこざあるだろうし、いよいよ円楽師匠の番だろうか?
笑点を通り越して会長となれば昇太さんもグの音は出ないだろうな。と、つらつらとお笑いねたを書いていきたい一日だ。

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実を言うと、私はかなり前から笑点という番組が結構好きで、おそらく京都にいる間はそれこそ落語をやりだす前から見ていたと思う。なぜ見るようになったかというと、二年前の名古屋でのホームステイのとき、避暑のためしばらく使わせてもらっていた部屋のテレビを見るともなしに見ていたら、偶さか日曜の三時ごろだっただけのことだ。本当にここは縁と言わざるを得ない。そもそもあの時点で号を知っている落語家などいなかったわけだから、あのメンバーの笑点しか知らないわけで、あれが実際始めて認識する落語家だったから、思えばその時点で間違えていたのだろう...

というのも、落語や大喜利は勿論好きだが、実際最初に見ていたのは何を隠そう友則陣内という芸人だった。それこそ、日本語を勉強しだした直の高校二年生の暮れか三年生の初めごろで、YouTubeで字幕付きの彼のスキットをひたすら見ていたと記憶している。それが今週の笑点にぽつりと史上初登場したもんだから、これまた縁だと思ってしまう。自分の好きな物は自分の元に戻ってくるようというか、好きになるべくして好きになった気がするわけだ。今度はそういう恋もしたいものだと常々思う。

上から分かるように、私は逆に日本独特の笑いと感じる「漫才」に始めて触れたのは結構遅かったように思う。大学一年生のときに流行っていたザ・ラーメンズ(時期的にではなく、日本学科の私の回りだが)や厚切り・ジェーソンだったわけで実際始めてみた漫才はおそらく東方プロジェクトというゲームの二次作系の漫才動画で、甚だ導入として酷いだろうけど、普通に笑えて漫才を段々好きになっていった。またその時期から頭の構造がだんだん突っ込みの方向に向いてしまったというのも否めない事実である。

今ではお笑いに関しては雑食系というか、漫才も見れば落語もお芸も楽しめて、スキットも大喜利も見たりするわけだから、すくすく育ってしまったといえよう。ギャグアニメも漫画もいける(というか、昨日の午後「男子高校生の日常」を何回目でまた見ようと思った)。某先輩も無事吉本興業に入社して社屋まで見せてもらったから中々日本のお笑いとの縁が切れそうに無い。いやはや、愉快だなものだ。歌丸師匠も天国から昇太師匠を叱ってくれていることを祈っておこう。

しかし、それはまた別のときの話。