万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

就活の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

このブログで色んな話題に触れてきたが、意外なことにこの話題について真正面からかかってきたことは未だになかった。それこそ、最近ますます頭に浮かんでくるのがまさにその二文字で、同年代や同期の人たちに会えばその話題がどちらからともなく浮上するか、どちらかも振らないようであればつい言い出してしまうのだ。すなわち「就活」だ。

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日本人にとって当たり前で疑いようの無い就職活動も、他国から見て可笑しなものだ。徹底的に綿密にセレクトしてきた人材をまずは基礎から研修させてから、結局総合職という非常に一般的な仕事をするのがオチだ。エントリーシートにウェブテスト、リクルートスーツにイライラした呟き。浅井リョウの「何者」を題材にしたあの映画の通りなら、就活生という人種も中々大変だ。面接なんてする前に半年間色んなところに言って回って、根回しを50社分に履歴書やエントリーシートに書いてから、その中ひっかっかった数社にめでたく内定か内々定をもらったものが勝ち組なのだが、その過程にどれほどの金や時間が無駄に使われているのやら。

オランダ人の感覚で言えばこの風に見える、と今まで私はナイーブにも思ってきた。しかし、そう簡単な話ではない。むしろ、日本はまだシステムがしっかりしていて、透明であるから長所はそれなりに持っている。ヨーロッパで基本なのはそれよりも簡易な履歴書提出から始まる過程で、やっている最中は非常に心もとないだろうと思ってしまう。大型な就活サイトもあまり使われていないか、先輩などに聞いてもおそらく日本の方に詳しいのだろう。一番楽なのは、インターンでそのまま入る、というやり方だろう。

こうして奨学金の結果を待っていると、いやでも不安が募り、就活サイトを見てしまう。変なもので、それが今時分のやるべきことだったら就活の方がぜったい恐ろしいものに感じるはずなのに、その前にもう一個壁があるようで、むしろ色々今の自分に必要の無いものを調べたほうがまだ安堵感をもたらしてくれる。こんな感覚が結果的に日本語へと導いてくれたのかもしれないから、ひねくれていもその感覚を信じたいものだ。

周りの人たちが就職に勤しんでいる中、私は「とりあえず大学院」と考え、適当に努力し、適当にテストを受け、適当に面接を受けたら適当にうつ状態になってしまった。それはある意味当たり前のことで、適当にしか努力してないのだから適当な結果しか出ないはずだ。他人を伝手に得た知識も結局適当だ。問題は、今の自分の「適当」が他人の価値判断で言えばどの水準に達しているか、だ。

しかし、決めてしまったものは仕方が無い。それに、インターンも暫定ながらあるわけだし、これからも適当に頑張り、適当に就活を続けていこうと思う。色々見ているうちに見えてくるものもあるのだろう。

しかし、それはまた別のときの話。