万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

好奇心の話をしよう

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大学まで出ているものだから、自分には少なからず「知的好奇心」があるのは当然のことだ。新しいことを知ろうとするのは学術的探求の源とも言えるわけで、だからこそ私は本を読んだり、友達と話したり、旅行に行ったりするのだ。そうしてでしか得られないものがあるからそこに行く。今の社会にすんでいる人にとって、それは自明のことだ。考えるまでも無く、我々は情報を不完全に持っていて、不完全なままに生まれてきて、満たされようと思い、生きている。勿論、全てを知ることはできないけど、皆で力を集めればいずれかは何とかなるんじゃない、という淡い希望に見た感情も持っている。

ただし、これはそこまで当たり前のことなのだろうか?ほかの考え方が可能なのではないだろうか?500年前の人たちはどうだ?2000年前は?原始人などは果たして満たされたいと切望していたのだろうか?そんなはずはない、とは頭ごなしに否定するつもりも無いが、ともかく現代人の人生観をそのままいかなる時代に埋め込むのは危険な誤謬推理なのだろう。

ここで(狡賢い気もするが、自分に合うものには段々感化されてしまうもので)またHarari氏のサピエンスのある考えに注目してもらいたい。つまり、科学の条件だ。知的好奇心というものが生まれるには、どのような環境が必要なのだろうか?それはおそらく物理的な、地理的な、資源的なものなのではなく、純粋な精神的な問題なのだろう。
つまり、万能さを諦めることだ。素直に「分からない」と、理由付けも記事付けも無く、一回観念してから理論構築を行うことだ。

例を挙げれば、この場合万能の神を信じては万能さを認めることになり、その神に従えば最良の結果が得られる、という一種の思考停止に陥ってしまい、科学など到底たどり着けることはできない。自分にはまだ足りないものがある、完全ではないと認識してこそ、新しいものを探求する精神が生まれる。改良の余地があるから、その方法を追求する。

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かのソクラテスはいつぞや、「我はアテナ人の中においてもっとも冴えたるものなり。なぜなら、何も知らないことを、私は知っている」と述べた。彼がどれほどこの精神を理解していたかは勿論知るすべも無いが、この彼のものかもまことしやかな文章の中で窺い知れるものは確かにある。科学改革と呼ばれるものが実際起こったといわれるのは1500年前後なのだが、勿論神の摂理にあだをなし、新しいものを見出そうとしたものは歴史上探していてもいくらでも見つかる。錬金術師などはよい例に見えるが、これらも結局ソロモンの悪魔、などという既存のものに執着がありながら、新しい元素の究明をしようとする姿勢からして、まだ改革の途中と見たほうが妥当だろう。

この点において、Harari氏も説明不足な点があるように思えるので、一回自分の考えを言語化してみよう。歴史上に一神教の前後に色んな世界認識があり、科学に近いものがあったにせよ、それが一般社会に浮上することは無く、イスラムキリスト教などの一神教が完全なる世界を約束し、一時の予定調和を作り出した。しかし時間が経つに連れて、知的好奇心を進める考え方が少数派の人々に根付き、その産物によって一般社会に段々定着してきた。長い期間、人々が段々この考えを受け入れるのに要したその期間こそを、科学改革と呼べるのにふさわしいのだろう。

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先述の通り私はまだまだ漫画の分野において門外漢だが、一つ好きな台詞がいつになっても心に響いているのだ。これが荒川弘先生の「銀の匙」からでており、すでに文脈も実際の言い回しは忘れたが、その旨とはこうだ:

「分からないけど、分かろうとする努力はやめたくない」

これがいつの間にか私のモットの一つとして、心の片隅に大事に、大事に重宝している言葉なのだ。自分が心理を所有し、万能であると信じるなら、それは盲信だ。唯一正しい見解を持っていると考えるなら、それは決して予定調和から出ない、脆弱で心もとない真実でしかありえない。自分の知っている圏内から一歩たりともでたら、たちまち零れ落ちるだろう。そのため、私はソクラテス、Harari氏、荒川先生らの表現したその精神を尊いと思うし、そう生きて生きたいと思う。

しかし、それはまた別のときの話。