車の話をしよう
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車とは男の浪漫、というのが我々の住む社会の一般常識のようだ。ドライブは楽しいし、運転する男は格好いいと、テレビやCMはいう。けれど少年時代の私それは響かなかった。なんせ私は自転車や電車大好き少年であったから、というだけではなかろう。
どことなく中二病的な、みなが好きな物を私は嫌いだ、という態度を取ってしまう自分がいるようだ。天邪鬼というか、ヨーロッパ風にいえば悪魔の弁護人か、自分の中の一側面がそういう開き直った部分だった。まあ、誰にでもあるのだろうけど。流行があればそれにもとる下流も生まれようものだ。
ともかく、私は長い間車に興味を持てずにいた。いたのだけれど、ここで驚愕動転、大学一年生の妹が下宿制の国際大学の大学にいくだけでなく、一年で彼氏まで作って、車の免許もさき越されてしまった。これは由々しき事態だと思いながらも、自分が卒業論文や諸々の事情で手一杯の4月の頃で、どうしようもないわけだ。
そうこうしているうちに、妹が久しぶりの帰省で、父に車を貸してもらうことになったわけだ。当然初心者運転士だから練習はまだまだしたいところで、家族を乗せて親戚の家まで、妹が運転することになった。さすがに妹の運転は心配だったが、なるほどしっかりしている。思えば私なんかより妹の方がそういうところしっかりしているような気がしてきた。
しかしこれでは埒があかないと思い、妹に筆記試験の参考書をもらったりして、みてみるとなるほど、これはこれで面白い。勿論交通ルールや法律規定など読んでいても盛り上がりはしないが、読んでみると今まで見てきた道路が違くみえる、というのはあながち嘘でもなかろう。新しい知識が増えると、その知識を基点に世界を見るようになる。
車で言えば、車に乗って走ることが、曖昧であるにせよ、創造できると錯覚する。
まあ、こんな風に考えていても実際レッスンを取るまでだ、と言われるだろうが(いや、実際言われているのだが)今後日本に少なからず3年ほど住むつもりでいるわけだからいっそのこと日本で取ればよいものだろう。貯金を削らずに済むだろう。就職活動のとき、友達やサークルとの交流において車はあって損のないものだと、いまさらながら今年になって気づいた。故に悩む。挑戦するか、またの機会を待つか。しかし、こうかいてみると答えは出しているようなものだ。
しかし、それはまた別のときの話。