万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

龍の話をしよう

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古今東西、東西南北、様々な民話や神話が語られ、伝承されてきた。その中でも一際一般市民において知名度が高いのはすなわち龍である。厳かで大きい蛇のよう、空を舞い、炎を吹く、というのが相場であろうけど、それ以上を言うと一般的な龍のイメージは薄れてしまう。なぜなら中国文化圏の龍(ロング)とヨーロッパにおける龍(ドラゴン)の間にはかなりの隔たりがあるからだ。

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日本屈指の遺跡、キトラ古墳に残る青龍の壁画

中国圏において龍は畏怖される存在であって、災害をもたらすとともに恩恵を与えるものでもある。雨を降らす、虹がかかるなど、天気に関係する生き物、またもや神様と同等のものと見る傾向がある。見た目で言えば身体が細長く、大体は何対かの短い腕を持ち、花の辺りから長い毛のようなものが出ている。青龍として東の方向を守り、陰陽の道においても大きな役割を持つ。中国は占い文化も強く、占星術なども青龍という名は見られる。全体的で言えば味方につければ良きものなのだろう。

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ロマンス調に描かれた英雄、聖ジョージと悪を象徴する龍

一方、ヨーロッパの方では龍はこれとは相当相反する様相を呈している。全体的に重く、丸みのある身体を持つ上に、大きな翼を広げ、物理的にも飛べそうな形をしている。炎を吹き、財宝を集め、麗しき姫を奪い取るなど、身体や性能の割りにおよそ人間らしい行動を示す。あの史実のドラキュラことヴラド三世と父親のヴラド二世もまた、ドラキュル(東ヨーロッパの言語でのドラゴンの義)の異名で呼ばれているようだ。龍のイメージが悪いか、悪いイメージの利権者が龍呼ばわりされたのか、どちらが先だったのだろう?

キリスト教においてドラゴンはサタンと同義で、私が住んでいる町の守護聖人でもある聖ジョージは、龍を殺した偉業でヨーロッパ全土、遠くはイラクまで知られるけれど、キリスト教に龍伝説がいつ同化したのかはそれなりに難問であるはず。

ヨーロッパの龍、中国の龍とともに、日本では蛇類でいえば名高いのが八岐大蛇(やまたのおろち)なる8つの頭を持つ蛇が有名だが、これは果たして龍なのだろうか、蛇なのだろうか?さらに言えば仏教説話によく出てくるのが8つの竜王(例えば滋賀の石山寺竜王の池があるなど)だが、これはどれほど同等のものかも知識不足だ。この手の話は結局まだまだ分不相応なのだろう。京極先生の真似事もここら辺にして、最後に一言。

龍などという生物はおそらく存在していないが、恐竜は勿論あった。各地域に別種類の恐竜が生息していた上、それが3000年ほど前に見られたものからして確かに不思議だ。ましてやその骨が重なりあい、部分的に消えていると言うならますますそうだろう。大蛇などは、8つの大きな蛇がたまたま同時期に死んでいっただけかもしれない。しかし、その骨が残っていなくとも、人の語る物語は価値があると見られる限り、残るのだろう。

しかし、それはまた別のときの話。