万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

執筆の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

今日は久しぶりに、しかもそれなりの分量で、小説の執筆をしていたもので、今度はブログを書くことになり、当然そっちの方に気が行ってしまう。小説とブログは同じ文章でも書き方や構造に組み方、読んでもらう対象などが完全に違うものだ。今の今までそっちの執筆に取りか帰っていたものだから頭の回転というか、軸があまり切り替えていない。まるで終点駅に着いた電車が今度突然また逆方向で動いていくような感覚で今かいているわけだ。

なぜ今頃執筆を、と思わなくはない。勿論、私は日本語だけでなく、本全般を読むことが小学校の低学年から好きな子供だったから、いつかは「じゃ、今度は書いてみよう」という考えに至るのも目に見えていた。実際最初に小説を書いていたのはだけどせいぜい高校一年だった。本がすきでも、中々自分も本が書けるなんてと思えずと思った矢先、当時仲のよかった同じクラスの子がなんと、パリの修学旅行の帰り道のバスで前の席で書いていた。

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驚いて話を聞いてみると、向こうも私と似た感じだったけど、一足先に小説を書いてみようと踏ん切りがついたようだった。単純な私は感化され、しかしバス内で紙はもちろんないものだから、その子に紙を貸してもらって即効で思いつきでパリを舞台に小説を書き始めた。その時もらった紙は実はホテル予約の裏紙だったことを、一枚書き上げてから気づいた。

執筆の味を占めた私はその年の春(時期は4月だったはず)からずっと書き続け、高校2年まで手書きの草稿、手直しを加えたワード版をいろんな人に見せ合いながらやっていた。当時はだからかなり自己顕示欲丸出しの「これ書いたけど、読んでくれる」みたいな感じで周りに多分かなりうざがられたものだろう。その証拠として、読んでくれる人はそうそういなかった。まあ、当然と言えば当然だ。

執筆と並行に、私は日本の本と日本語に引かれていった。最初の頃はさすがにこの二つが交わることもなかったが、長崎の留学の序盤で文芸部の存在を知って、安く手早く日本語の小説が手に入ると思って、入部した事をきっかけに、短編諸説を書き始めた。最初に書いたのは思い出深い、数ページに亘る長崎大学の猫の観察日記だった。懐かしいものだ。

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そこからはそれなりに活動として15ページ、20ページなど書いたりして、先輩の暖かい応援とそれとは裏腹な辛らつなコメントがありがたかった。お互いのものを読む環境がそれなりによかった。最後は部誌に乗せてもらったが、いかんせん地方大学の文芸部の部誌など、読む人なんて限られている。うちに数冊が残っているだけだ。

それ以来もひそひそと書き続けてきた。各時期と書かない時期とがかなり極端なんだけれど、どうやら私は孤独であればあるほど、文章を書きたくなる。去年の2月3月がそうだったように、今の時期もまさに生活が安定しているのに孤独で暇だから、誰かに問いかけるように、自分の考えを整理するように、書き続けてしまう。

今書いているものが果たして、白日の下にさらされるのだろうか。
それが分からないから不安と同時に楽しみだ。

しかし、それはまた別のときの話。