万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

高知の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

よさ鯉をやっている人たちにとってこれは勿論自明のことなのだけれど、日本内でよさこいというのは名古屋ど真ん中祭り、先日私が参加した札幌のソーラン祭りに並び、聳え立つ存在がつまり高知のよさこい祭りである。毎年8月の夏真っ盛りの四国の地に200以上のチームが集合し、4日間をわたってチーム独自の踊り、またはチームや参観客をまぜて踊る総踊りが行われる。

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その基点となるのはどうやら、帯屋筋町の商店街の人々が1950年に初披露した「よさこい正調踊り」というもので、鳴子という鳴らしものや、手荷物ちょうちんなどを使い、踊るものだった。それが今ではなんでもアリの踊りが目白押し、アイドル系から暑い大学生の集まり、鮮やかな衣装替えやよさこい専用作曲家が編曲した音楽に合わせて振付師の作った踊りを踊る。

そしてその伝統も決して弱くはない。一回よさこいに染まったら、中々やめられない人々は必ずどこのチームもいて、その底力を引っ張り挙げてくれる。それこそ、10年以上色んなチームを渡り歩いてきた、百物語のあの方とか。。

そしてそのよさ恋をする人々全員が憧れを抱き、一度は参加したいと思う祭りが高知である。勿論地理的な難しさで出られないチームもいるわけで、長崎の頃に参加させてもらった「突風」は以前より高知を一回置いてソーラン祭りを選んでいたけれど、毎年この季節になるとツイッターがオリンピックの如く盛り上がるのがこの時期だ。

そんな高知の祭りを私は4年ほど前に知り、年を重ねていくごとに意識するようになった。よさこいについていくのが精一杯な一年目、長崎から日本を旅行し、日本でできたよさこい仲間のツイッターで知った高知のすごみ、国際連合チーム「戮力協心」に先輩が出て、ホテルが取れなくてみれなかった去年の高知、そして今年は。。

その一つ一つに違った思いをこめて見てきた、変わらぬ高知よさこい祭り。私がいてもいなくても変わらぬ耕地のよさこい祭りは、さながら三島の溝口にとっての金閣寺とも思えてくる。けれど、今年でようやく「出たい」と願うようになった。それはもちろん、来年から日本にいることを前提として入るのだけれど、札幌で出会った人たちとなら、という気持ちも強いだろう。もう一度、いっしょに。それがよさこいの真髄なんじゃないかな?

自分が行きたかった東京で踊りたいと思えた踊りを踊って、楽しんでいるチームがいる!そう思うと、今まで外側からボヤーと眺めた高知の祭りが、一気に色づいていく感覚だ。来年、私はそのステージに立てる。立つことができる。そう自分に言い聞かせてしまう。そしてそれを信じれる、今の自分がいる。これが進歩でなくてなんなのだろう。

さしあたっては、まずオランダでよさこいを再会せねばと思って、今月は合宿に新入生の勧誘。交通の金額的に自主を余儀なくされ、練習をおろそかにしている最近の状況を打開するだけの力は、あって欲しいものだ。来年の高知の道のりは長い。

しかし、逸れはまた別のときの話。