万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

また進路の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

数日家を空けて帰ってみると、いつも見つけることがある。毎日の生活に、新しいものや経験への扉が散らかっている。それを認識するか田舎の問題だ。大学をいったん卒業し、半年の間のフリーターという名の空白が生まれ、自分なりに新しいものを見ようと、各方面に種を蒔いてきた。それがキャンプという短い非日常をおいて、気付いたら小さな芽を生やしていた。そして、今後のことを考える。

前にも述べたけれど、私はかなりの仕事人間である。仕事人間は仕事人間だけれど、それは仕事がある時の話である。手近にやるべきことがあってそれを遂行するだけの体力が残っていれば、おそらくやってしまう。例えば今が夜の三時でも。けれど、何もないときは呆然と、何をするべきか分からず、前に見たものをもう一回見たりして時間を潰すように生きてしまうときもある。そしてそのたびそういう自分の生き方を恥ずかしく思ってしまう。

f:id:yorozuyawakarando:20180815041415j:plain

だからこそ、この半年間を何とかして有意義な時間にしたかった。したかったけれど、どうやら今見てみたらすでによろけ始めている。配達のバイトはシフト数が増やせず、収入がすごいわけでもないから、車の免許をとるにしても資金が足りない。貯金全部を今使ってしまっては、インターン中の生活、4月からの大学院生活が思うように過ごせなくなってしまうと思うと、投資するのにためらってしまう。だったらバイトを増やそう、と思ってきて、ダラダラと過ごして8月半ば。

ここに来てようやく一ヶ月前にやるべきバイトに応募し、単発のバイトも決まるかもしれない状況で、漸く一息つける気がしてきた。単発はしかしその字の通りおそらく一回きりで、その上経験のない日本語を使った会社主催のコンフェランスの受付。長期のバイトの面接もあるけれど、果たして11月末までの時間で雇ってくれるところなのか微妙だ。

それでも、やっぱり行動するのみだと思ってしまう。高校、大学であまりバイトをしなかったせいか、最近まで面接というものの認識は「ハードルが高い」という、甘っちょろい認識だった。しかしこの間の大使館での面接の記憶もあって、面接も結局は場数を踏んで何ぼだと思えてきた。大した金を取られるわけでもない、時間はどうせたっぷりある、会社側も求人しているのなら、面接を受けない理由の方が少ない。

それにしても、インターンさえ決まれば色々安心できるのになー、と思うことがやっぱり多い。12月・1月日本でインターンする、という話が先生に送られてきたのは今はもう去年のことで、他のインターン生が順調に励んでいる様子をフェースブックで見れても、イマイチ安心できない。その続く2月、3月をどうにか日本で過ごせないものか、というめちゃくちゃな計画まで立ててみたくなるのだけれど、インターンそのものが決まらないんじゃ元も子もない。

しかし、逸れはまた別のときの話。