万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

距離の話をしよう

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ここで文章を書くのは何か月ぶりかと考え、見てみたら今年の二月に二回、その前はさらに不定期。気づけば自分のブログの名前の綴りが変換されなくって、それだけで時間の流れを感じる。二月の私は、何をしていたっけな。修士一年と二年のちょうど間の時間。4月から入ってくる後輩たち、どんな人なんだろうなぁとか、就職活動、これでいいのかなとか、コロナ、いつになったら終わるんだろうな、とか。考えてみたら半年があまりにも遠くて、思い出せないというより、具体的に思い出す意義をあまり感じない。

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後輩たちは、まぁまぁ仲良くなったけど、相変わらず大学内の友人関係よりそとの方でいつの間にか友達作ったりしている。就職活動は、まぁ全体的に見れば上出来な終わり方。コロナは予想通りひどくなる一方で、オリンピックまでやっちゃっているから、飽きるばかり。半年前の自分に勝たれるのはそれぐらい。やはり、あまりにも遠い。

この一年、コロナというものによって物理的な距離も、精神的な距離、両方が遠くなった気がする。でもそういう言い方をするのは正直簡単すぎる。むしろ、距離を詰めた対象も、そこまで頑張らなくても見つけることができる。コロナ禍に入ってすぐ始めた「Zoom居間」は、成功とはいいがたいけれど、少なくても二年でやらない場合と比べて悪くない結果を生んだ。ドイツで言語学をやってる同年代のあの人、転職した後も相変わらず残業続きのあの人、研究ついでに出たラジオをきっかけに知り合ったあの人、実は同じ先生の学生だと昨日二年越しに知ったばかりのあの人。彼ら彼女らとの会話はすべて、自分で動いて、距離を詰めて初めて生まれたものだ。

逆に言うと、こんな時期なのに、家族との距離は全く相変わらずだ。私はもとより家族をすごい身近に感じることが多い人間ではないけれど、前から物理的な距離が相当あるため、感染症ごときで変わることもなかった。相変わらず週に一回は話す。むしろ、自分が年を取るにつれ、就職が近くなるにつれ、両親や妹が近く感じたり、前よりは自分の考えを開陳したり、不安を吐露したりすることが増えた。不思議なものだ。

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コロナ禍が始まった初期、毎日のように話された「Social Distance」だけど、今考えたらコロナごときで距離が生まれてたまるか、と開き直るような感じで、私自身はそこそこ動いていたのだ。五月からは就職も決まり、いよいよ修論という壁の大きさを目の前にして、少しずつ動くようになった。ずっと行きたかったイベントに行ったり、それがきっかけで知り合いが徐々に増える。一番重要なことは、そもそも距離なんてなかったのだ、と気づくことだったかもしれない。

私はかなり臆病な人間なので、正直断られるだろうなぁ、多分思っているほど楽しくないんだろうなぁ、と行く前から思って、勝手に足がすくんでしまうことがある。傍から見たら行動力のある方かもしれないけれど、正直それは逆で、格好つけていうと「実はこんなもんじゃないよ! 本当はもっと...」なんて、書いているうちに恥ずかしくなるのでやめとこう。

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ただ実際、考えもせずに無為でいる時間が相当ある。距離を測っているのだろうか。それとも、相手が距離を詰めてくるのを、じっと待っているのだろうか。学んだことはといえば、自分が一歩動くだけで、相手が二歩三歩かけよってくれることもあるということだ。それはコロナ禍だからといって、変わることはないのだろう。

コロナ禍の中、自分の中の様々な「距離」を考えることが多くなった、心の中、頭の中、本の中に隔離したい気持ちと距離を詰めていきたいという気持ち、この二つのバランスをどうとるか。今まで距離を取っていたものとの距離をどう詰めるか。最近よく考えるようになった。でも、少なくとも研究の聞き取り調査に関しては、断られるどころか、むしろ快諾してくれる人がほとんどで、また話しましょうねという人、論文を書き終わったら買ったゲルよなんて人までいるから、私が余計に距離を取っていただけだったようだ。

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少し話がずれるけれど、この半年、ずっと距離を取ってきた日本の詩や短歌をようやく身近に感じるようになった。これもまた大学の先輩や、イベントで出会った商売上手な編集者との出会いが先にあったりする。そうすると、ある日二年間ずっと仲良くしてきたあの人と短歌の話をして、偶然同時に同じ歌集を読む偶然に巡り合ったりもする。一回距離を詰められたら、次は自分が一歩前に踏み出す番なのだろうね。今年も、距離感を手探りながら生きていくことになるんだろうな。

しかし、それはまた別のときの話。