万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

怠惰の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

私は、とても怠惰なのです。

なんて、藪から棒に言われてもねぇ、という感じなのだろう。
実際、この言葉が頭に浮かんだ時、私もそうなのです。
けれど、やはり思っていることには変わりない。私は怠惰だよなぁーって思う。

この頃、やっていることと言えば修士論文の執筆と読書、息抜き(という度合を越すこともあるが)に友達と会って食べたり飲んだり、という繰り返し。そのなかで、文献として本や本屋関連ではあるけれど、どちらかというと結果的に本屋をやっている人々のエッセイを読んだりしている。有名どころだとやはり松浦弥太郎氏だろうか。他にも「新井賞」の新井見枝香さんの文庫本や、盛岡はBOOKNERDを営む早坂大介さんの本。ミシマ社の創立記や、完全に本から離れてこの間多彩多芸な安田登氏がそのミシマ社から今年出した『三流のすすめ』も11月読んでいた。こう並べてみると、なんとも言い難い、ある意味陳腐な組み合わせだね。でもそれぞれ文章は秀逸で、どれとっても楽しい読書経験はできると、勝手ながら私は強調したい。

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そうしていると、読んでいるうちにやはり刺さる話はある。特に『三流のすすめ』はもう初めからその期待を胸に抱きながら買ったのだけれど、こういうエッセイ本はなんとなく自分の情けない部分を一旦掬い上げ、「でもそれでいいんだよねぇ」と、なんとなくゆるふわに心が軽くなるようなものだ(実は、件の安田氏の本は半分以上中国の古い逸話だが、それはそれで)。という言い方をするとさすがに怒る方もいるかもしれないが、やはり一定の人はこのような目的でエッセイを読んでいるのではないだろうか。

そして実際「それでいいんだよねぇ」とは思う。思うのだが... 私個人に対していうと、なんとも屈折した、わだかまった思いがあるわけで。私はそういう読み方をしている自分を、うかつにも「怠惰だなぁー」と思ってしまったのだ。どういうことだろう。

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人は生活していく上で、色んな経験をして、これに対して色んな感情を経験と結びつけることになる。人と会って、分かれて、恋をして、大切な人をなくして。でも同時に満員電車で舌打ちしたり、近所のおばさんと朝すれ違って気持ちの良い挨拶を交わしたり。かと思うとある真夜中に起きて、十年前の大きな決断が果たしてあれでよかったのか、と今更ながら考えたり。人間の感情の機微はとても微妙なもので、中々自分でもわからない。「強いて言えば腹が立っている」「なんとなく寂しい」という程度の起伏は、日常のいたるところに散らばっている。

普段であれば、多分一々それらの感情を言葉にしている人はあまりないのではないだろうか。一部は日記に載ったり、友人との会話に出たりするけれど、多くは頭の中に現れては、発酵してゆき、また脳の片隅に収納されていくだけ。この収納のプロセスの手助けをしているのが、エッセイというジャンルなのではないだろうか。

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エッセイを書く人は、皆が皆そうとは限らないけれど、多くはどこか偏っていて、変形していたり偏愛に身を投じたり、ともかく形は正方形よりも、鋏で証明写真を切るときに間違えて、一か所だけとがっているような人たちだと思っている。一言で言うと完ぺきではない、ってことだけど、これは味気ない。特に上に挙げた人たちがなんだか皆なにかと戦って、負けては買って、ひとり相撲をとりながら成長してきた人たち。

その過程、描かれたエピソードの節々に本人たちもやはり色んなことを考え、感情が脳裏をよぎっていたことだろう。直接的にそれを書くこともあれば、行間を読んで、別の本で裏話的に書かれたり、ラジオで話されたりする。そして、それを読んでいる自分が学んでいたのは、敢えて言えば「感情の文法と語彙」のようなものではないだろうか。感情はとてもあやふやで、身体の中の物質に還元できないところもいっぱいあると思う。病院に行って、採血されたあと医者に「あなたは今怒っていますよ」と宣言されても、なんだか変な気分になることだろう。その気分をなんというべきか...

少し脱線したが、何が言いたいかというと、文学よりも、エッセイの方が、我々が日々経験しているあれこれの感情をことばにするための道具を与えてくれているのだ、ということだ。読んでいて、「そうか、あの時のモヤモヤは...」と感じたのは、むしろ私にとってはノンフィクションの方であることが多い。こういう風に、本で得たことばたちを使って、私は自分の感じていることをなんとか脳内で整理している。

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この「自分の感情を、自分の言葉にせずに、他人の言葉を利用して処理する」という自分がなんとなく生まれてこの方やってきた行為を、先ほどなぜだか怠惰に思ってしまった。どういうことだろう、どないしようと、頭の中で慌てふためく。とてもではないけど、この感情を文章にしなければ、と思いながら気づいたら書いてて、30分。必死に書いたから、怠惰ではないのかも。でも、やはり他人のふんどしで相撲を取るように、私は他人の言葉で自分の感情を無理やり嵌め込んでやしていないか。もっと、私だけのことばだけで表しうることはできないだろうか。そう思って、また十分。

結局は怠惰でもいいんじゃないのかな。むしろ、私がエッセイから学んできた教訓はつまり、「とがりを、偏愛を大切に」だったようにも思う。エッセイに出会って、読もうと思ったのは、間違いなく私。なら、この感情の表し方は、初めは借り物であっても、今は私のものなのだろう。とりあえずこの辺で諦めて、昨日買った橋本亮二氏の営業の日々を綴ったエッセイにでも戻るか。

しかし、それはまた別のときの話。

「向き合うこと」の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

いきなりだけれど、一つまじめっぽい話にお付き合いください。

向き合わないことは、単純だ。だって、毎日生きてこんなにも他のことが起こっていて、気づいたら目の前の風景が変わっていて、向き合う対象がいつのまにか違って見えたり、判別できないほど変わったりする。これをちゃんと見極めて、見続ける、考え続けることは、当たり前ではなく、ある程度の努力を要する。ましてやこれをうまく言葉で表わすなんて、目移りしているうちにどんどん自分が何をやっているかわからなくなる。

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この頃、毎週漫画『ブルーピリオッド』のアニメ版が配信されるのが楽しみだ。主人公の矢虎が絵に魅了され、でも文脈もなにもわからずに飛び込んで、苦戦しているかと思ったら壁をぶち破り、ジャズ調のBGMに一気に圧倒されてしまうような絵をデリバリー。これをまた書いているのが漫画の先生であり、アニメに関わった人たちがいる。彼が今成長している、今これが分かった、カナシイときはこういう顔をして、ウレシイときはこんなふうに笑うのだと、一々自分で決めている人がいる。こう考えるとしごとの量というか、注ぎこまれた思いの丈というものが、少しだけど思いをはせることができるのだ。見ているこちらがあたかも自分が成長していると錯覚をする。

けど、これを見てただ成長した気になって終わるなら、ただの良質なエンターテインメントなのだろう。終わってたまるかと思って、むしろ今文章を書いている。矢虎は初めに、先輩の絵に魅了され「あんな引き込まれる絵を書いてみたい」と思うようになるけれど、けっして慢心はしない。調子に乗ることはあっても、いつも相手と自分の評価の間にもまれ、評価の基準、絵との向き合い方を変えながら右往左往する。彼に憧れるというのなら、結果だけではなく、彼が成長する過程をも、自分なりにトレースすべきだって、書きながら思わずにはいられない。

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別の話だけれど、ここ一か月パソコンの某キーが壊れていて、色んな言葉を書くのに一工夫や変換、コピペというものを利用して書いている。当たり前だったこと、できるはずのことができなくなる、思い通りにならなくなることを久々に経験して、やせ我慢もあるにはあるが、これはこれで清々しいとあまのじゃくな私は言い切ってしまう。

先日、武田砂鉄氏のラジオで以前読んで感動した伊藤亜紗先生さんをお迎えしており、「思い通りにならない我々の体」というテーマでトーク。時間があっという間にすぎる。いわゆる障害を持った方だけでなく、我々人間全員は今自分ができると確信していることが、できなくなることがある。単に体調不良もあれば、今日はなんだか気分が載らないものから、指の動きがとろかったりするピアニストもいるだろうし、頑張ってもよいタイムがでない陸上選手だっているだろう。

私はといえばここ2週間ほどの温度低下で体の節々が筋肉痛になりやすいと気づき、いよいよ二十代後半に差しかかったと気づく。体の感覚、体の状態、自分の毎日生きている体のはずなのに、以外と向き合っていかないと認識が遅れてしまって、いざって時に思い通りにならない。ジムに行って体を鍛えることも重要だけど、体を使う上で能動的に感覚を研ぎ済ますのも重要。鬼滅の刃のような精神論の様だが、これに「論」はない。個人個人が、一つしかない自分の体と向き合っていくしかないのだ。

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なぜこんな話をするかというと、体と同様、心の動き、自分の能力というものも、一定の結果を得ることができるわけではない。日常には思いがけないところにノイズがあったり、「自分ならこれぐらいは余裕」と思っても意外と思い通りにいかないことの方が多い。逆に、今日私が起きて、こんな文章を書くとは思わなかったし、書けるとも思っていなかった。むしろ、しばらくは筆不精で、なんだか罪悪感めいたものがあったぐらいだ。

これと向き合うには、色んなきっかけがある。日常の中から、最近みているアニメや、聞いたラジオ、友達から聞いた創作活動の話や本業の作家が発する心を込めた独書への恋文。この頃、修論を書かねばと力んでいて、矢虎同様、受験のための絵よりも、自分と向き合うための絵(文章)を必要としていたのかもしれない。これに気づくには、ちょうど環境が整っていたのだろう。

けど、上に述べた行動の一つ一つは、やはり自分が主体だ。ラジオを聞いたのも私、イベントに行ったのも私。ならば、自分と向き合うこと自体は、こうした色んな場にいる自分を統合して、一つにまとめて、これに「これでよかったのだ」と評価をつけることだろう。また来週には違う経験をして、評価を改めざるを得ないのかもしれないけれど、他人に比べてこれができないとだめだ、昔はこれができたのに今ができないことを、思いのほか思いつめる必要もないのかもしれない。今、自分がどういう状態か、輪郭をはっきりさせるだけで十分楽になりうる。

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昨日、某本業の作家の講演会で「自分は小さいころ、小説はなんとなく、日本人しか出てきちゃいけないと思い込んでいた」という発言があった。故に、彼女も当然小説を書くときには登場人物が全員日本人。本人は生まれが台湾だが、日本で成長し、自分の経験を日本語で描く上で、このように初めはある意味不自由な思いをしていたのだろう。

ならば、自分はどうだろう、と思わざるを得ない。小説を書いているときの自分の在り方は、オランダ人としてのルーツがどこにあるのか。日本語で書き始めてから、描く題材はあいまいにした時でもやはり日本人のような毎日を過ごし、日本人的な悩みを抱く人間が多い。むしろ、オランダ人が出くわす人生の苦労がどんなものなのか、経験しなくなった自分には描けなくなっている。高校や大学の友人の就職が大変と聞いても、どこか対岸の火事。これもやはり自分の在り方の輪郭を考える上での一つの向き合うべきポイントではないだろうじゃ。

アイデンティティをある意味毛嫌いしてきたのも自分だ。だけど、アップデートも必要。今週、最近ヒカリエの上の方に開店した「渋谷〇〇書店」を訪れ、店員さんとひとしきり会話をした後、なぜか手に取ったのがアミン・マアルーフという方による『アイデンティティが人を殺す』というエッセイ集だった。これも驚いたことに、昨日の講演会のテーマにフィットしているようで、近日中に読みたいと思っている。

最後にもう一つ。上に描いたキーボードのキーが壊れ、一つ面白い発見があった。「先生」という言葉を書くときに普段は「先に生まれた」という意味合いだろうけれど、返還と工夫を通して「先ず生きる」というように入力するようになった。ということで、先ず生きることにしたいと思う。

しかし、それはまた別のときの話

距離の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

ここで文章を書くのは何か月ぶりかと考え、見てみたら今年の二月に二回、その前はさらに不定期。気づけば自分のブログの名前の綴りが変換されなくって、それだけで時間の流れを感じる。二月の私は、何をしていたっけな。修士一年と二年のちょうど間の時間。4月から入ってくる後輩たち、どんな人なんだろうなぁとか、就職活動、これでいいのかなとか、コロナ、いつになったら終わるんだろうな、とか。考えてみたら半年があまりにも遠くて、思い出せないというより、具体的に思い出す意義をあまり感じない。

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後輩たちは、まぁまぁ仲良くなったけど、相変わらず大学内の友人関係よりそとの方でいつの間にか友達作ったりしている。就職活動は、まぁ全体的に見れば上出来な終わり方。コロナは予想通りひどくなる一方で、オリンピックまでやっちゃっているから、飽きるばかり。半年前の自分に勝たれるのはそれぐらい。やはり、あまりにも遠い。

この一年、コロナというものによって物理的な距離も、精神的な距離、両方が遠くなった気がする。でもそういう言い方をするのは正直簡単すぎる。むしろ、距離を詰めた対象も、そこまで頑張らなくても見つけることができる。コロナ禍に入ってすぐ始めた「Zoom居間」は、成功とはいいがたいけれど、少なくても二年でやらない場合と比べて悪くない結果を生んだ。ドイツで言語学をやってる同年代のあの人、転職した後も相変わらず残業続きのあの人、研究ついでに出たラジオをきっかけに知り合ったあの人、実は同じ先生の学生だと昨日二年越しに知ったばかりのあの人。彼ら彼女らとの会話はすべて、自分で動いて、距離を詰めて初めて生まれたものだ。

逆に言うと、こんな時期なのに、家族との距離は全く相変わらずだ。私はもとより家族をすごい身近に感じることが多い人間ではないけれど、前から物理的な距離が相当あるため、感染症ごときで変わることもなかった。相変わらず週に一回は話す。むしろ、自分が年を取るにつれ、就職が近くなるにつれ、両親や妹が近く感じたり、前よりは自分の考えを開陳したり、不安を吐露したりすることが増えた。不思議なものだ。

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コロナ禍が始まった初期、毎日のように話された「Social Distance」だけど、今考えたらコロナごときで距離が生まれてたまるか、と開き直るような感じで、私自身はそこそこ動いていたのだ。五月からは就職も決まり、いよいよ修論という壁の大きさを目の前にして、少しずつ動くようになった。ずっと行きたかったイベントに行ったり、それがきっかけで知り合いが徐々に増える。一番重要なことは、そもそも距離なんてなかったのだ、と気づくことだったかもしれない。

私はかなり臆病な人間なので、正直断られるだろうなぁ、多分思っているほど楽しくないんだろうなぁ、と行く前から思って、勝手に足がすくんでしまうことがある。傍から見たら行動力のある方かもしれないけれど、正直それは逆で、格好つけていうと「実はこんなもんじゃないよ! 本当はもっと...」なんて、書いているうちに恥ずかしくなるのでやめとこう。

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ただ実際、考えもせずに無為でいる時間が相当ある。距離を測っているのだろうか。それとも、相手が距離を詰めてくるのを、じっと待っているのだろうか。学んだことはといえば、自分が一歩動くだけで、相手が二歩三歩かけよってくれることもあるということだ。それはコロナ禍だからといって、変わることはないのだろう。

コロナ禍の中、自分の中の様々な「距離」を考えることが多くなった、心の中、頭の中、本の中に隔離したい気持ちと距離を詰めていきたいという気持ち、この二つのバランスをどうとるか。今まで距離を取っていたものとの距離をどう詰めるか。最近よく考えるようになった。でも、少なくとも研究の聞き取り調査に関しては、断られるどころか、むしろ快諾してくれる人がほとんどで、また話しましょうねという人、論文を書き終わったら買ったゲルよなんて人までいるから、私が余計に距離を取っていただけだったようだ。

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少し話がずれるけれど、この半年、ずっと距離を取ってきた日本の詩や短歌をようやく身近に感じるようになった。これもまた大学の先輩や、イベントで出会った商売上手な編集者との出会いが先にあったりする。そうすると、ある日二年間ずっと仲良くしてきたあの人と短歌の話をして、偶然同時に同じ歌集を読む偶然に巡り合ったりもする。一回距離を詰められたら、次は自分が一歩前に踏み出す番なのだろうね。今年も、距離感を手探りながら生きていくことになるんだろうな。

しかし、それはまた別のときの話。

「有害な期待」の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ、

今朝も少し遅めに目が覚めてツイッターを見ると、安定的に河野太郎氏の投稿に不平を言う人がいた。これはもうよくあることなので特に気にすることではないとも思ったが、改めて見ると「あれ?」と首をかしげることになった。その内容としては、ワクチン担当大臣である河野氏が先日の強力な福島沖の地震による被害に触れずに、短い文章で「ワクチンへの影響はなかった」というものだった。

これに対し不平を述べるある人は「ワクチンより先になぜ被害者への慰めのメッセージ一つぐらい投稿しないのだ」という返事が多く寄せられ、ツイッター上で「いいね!」やリツイトで拡散された。これに対しやはり私は疑問を抱いてしまった。もちろん建築物や財産、人に対する被害は多かったはずで、今日本政府としてその被害状況の確認が進められ、できるだけ早く新幹線の復旧や人々一人一人の日常を取り戻すことが重要であろう。

けれど、同時に今なお続いている新型コロナウィルスとの戦いにおいて、ちょうどワクチンを載せた第一便がブリュッセルから届いたばかりという状況で、今後のワクチン接種の見通しの上で河野氏の投稿は正直言って私自身も気になっていたところであり、それを読んで安堵したのはおそらく私一人ではない。

にもかかわらず「今それどころではない」という返事が来るのはなぜだろうか? 公人であるから、有名人であるからと、河野氏だけではなくSNS上の様々な人物に日々寄せられるメッセージがあまりにも当たり前になってきているのだけど、それを単に有名税として片付けるにはあまりにも酷で、そういった態度を許容してしまう結果となる。

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以前、私自身もアウトプットの話をすることがあったと思うけど、多くの場合は最近「言わないでおく」「触れないでおく」「そのままそっとしておく」ことも一つの選択肢であり、むしろ場合によって正しいこともあるということが実感できている。上の河野氏の例などからも分かる通り、ここには「一般人」が「公人」に対して「期待」を寄せるなり、その「期待」が「裏切られた」と感じたらがっかりするという構図が現れてくる。

公人であることは、決してその人に公共放送並みの期待を寄せて当たり前ということでは決してない。なにせ、個人だからである。地震の後、台湾の蔡英文総統は応援のメッセージをツイッター上に載せ、これが悪いとは全く思わない。けれど、同時にこのようなメッセージを送ること自体が当たり前であるとも思わないし、いくらこれがむかしからの習慣であるにしてもそれに対し勝手に「期待」することはあくまで個人の押し付けでしかない。

この「習慣」が崩れるところを見ることができたのは、先のアメリカ大統領選である。トランプ氏による不正主張という特殊な条件の中、新しいバイデン大統領の就任への祝いのメッセージを送るのを渋った各国の長が何人もおり、決して一斉に祝いが押し寄せたわけではない。それを期待することがいかに正当化しにくいのか、お分かりかと思う。

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勿論政治家が国民の代表である以上、彼らに期待することは当たり前である。けれど、彼らも公人であると同時に人間であり、政府の自分の役目を優先するのも時間が有限である限り当たり前である。この場合、現在日本の政治家の中で最もフォロワー数が多い河野氏だから、という正当化はあまりにも乱暴で、有名だからと言ってフォロワー全員の気持ちを汲んであげることなど不可能に等しいし、それに対し責任を負わせることはやはり「有害な期待」とも言える代物だと思う。

もう一つ言うと、最近どうも「活動家」(本人が自らその称号を使用しているかどうかもまた問題であるけれど)に対するこうした有害な期待も目立ってきた。#KuTooなどで知られる石川由美さんがここではいい例かもしれないが、基本的になにかしらのマイノリティー(または権力関係の支配される側)を擁護する「活動家」によく見られる。
これらの人は本来「公人」ではないけれど、インターネット到来後、公人と一般人の間の微妙なラインが驚くほどのスピードで曖昧になってきている。

つまり「あなたはこの問題に対して声を上げているのに、なぜあの問題に対して何も言わないの」というように、このように活動している、またはある活動の「顔役」となっている人物に、また別の問題をも解決してくれると期待を寄せるのである。そこには最初の活動をするのにその人物にいかなる負担がかかっているのか、またその人物がそもそも自分を「活動家」と認識しているのかを無視してしまう暴力性が伴う。

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そこでもう一つの例を出してみよう。これは私自身そこまで自体を知悉していないのだが、ミャンマーの軍部がクーデタを起こした件で、世界各国でデモ活動が行われているようで、日本では特に青山の国際連合大学周辺で活発になっているらしい。

この状況で、共同通信のニュースでシンガポールにおいて「無許可集会で、日本人2人を捜査」との一報が排他今日の朝。それに対し、全く別の話題で日本に住むシンガポール人の留学生のチョウ・ジーイン氏に対し「あなたの国で日本人が抗議デモしようとして逮捕された、自国の政府に抗議してください、お願いします」との返事が来る。ここまで来るとわざとらしくて笑えて来る。

ここから見えてくるのが、こうした有害な期待を抱くのは決して「悪意」を持った人々だけではなく、むしろそれ以前のその人物の発信、または活動に賛同してこその期待であることがよくわかる。自分は無力だけど、この人なら、と勝手に期待をして、自分はあくまで「応援をする」という安全な立ち位置を死守する。

私は決して「活動家」と言えるような人物ではない。それでも、今まで色々やってきて「期待してるぞ! あなたならできる」と言われたことが何回はある。振り返ってみればそれを重荷として感じてきたこともなきにしもあらずだ。だから彼ら彼女ら公人の気持ちをわかるとは言えないけれど、その気持ちをわかろうとする努力を絶えずしていきたいという原動力にはなっている。

しかし、それはまた別のときの話。

 

コロナ下の就活の話をしよう

ようこそ、万屋和華蘭堂へ。

真夜中の一時過ぎ。最近は孤独を紛らわす目的もあって(というかそれが主な目的として)英語でのインターンを受ける友達と毎日零時前後に電話で英会話をしたりして、英語に疲れたらただただとりとめのない世間話や雑談を一時間ぐらいして一日を終えている。そしてそこから読書だったりドラマ鑑賞だったりしているうちに朝の三次になって、特に眠くもないのに床について、起きたら十時過ぎ。修士一年目の全課程を終えて、そんな生活が一週間前から続いている。

一応、今回久しぶりのブログということで、去年の夏からちびちびとやってきた就職活動を振り返りながら頭の中を整理しようというのが今日の目的。いや、そんな目的は途中から生まれたようなもので、むしろ友達との会話が楽しくてしょうがなかったから、色々自分の心の中にある形のない思いを久しぶりに文章にしたくなったのが正確だろう。見てみれば最後の投稿が去年の九月のJapan Timesの記者と茂木大臣の件で時間が過ぎるのが早いものだ。ともかく自分の文章の癖が健在で苦笑してしまう。

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個人的には、就活をかなり早い段階で開始したなぁーとは思っている。去年の夏の間は外資の通信社だったり日本の新聞社のインターンだったり受けたが、どちらも面接で落ちて、あの頃は授業もそこそこ忙しくてコロナも落ち着いたように見えて、「まぁこんなものだよね」と思って一旦インターンを保留して、結局インターンをせずに今にいたる。それが今になってやはり痛いと思ったりするけど、日本の就活って落ちる理由も分からないから、その痛みの正体が鈍痛というか幻肢の痛みのようで今でもよくわからない。それもそんなものかもしれないけど。

そのあと、気が付けば10月末。大学院の去年の指導教員が主催してくれているメディア業界の勉強会で、大手のテレビ局などを色々話聞くことができて、在都の大手は全部終わっていたけれど、在阪一社に心を持っていかれて、真面目に面接を受けたらいつの間にか四次面接で年明けに大阪まで繰り出す。

新幹線代片道だけ出してもらって、これもまた「まぁこんなものだよね」という気持ち。人事の人たちが他社よりも血が通った会話ができて、Zoom上で出会って本社で会うと感慨深いというのは大げさだけど楽しくなる予感がしていた。四人でグループワークをしたやつらで作ったライングループに、あれ以来一回も通知着ていない。後から考えれば、あんなに受けやすいZoom面接、多分これ以降出会うことがないだろう。長年人事畑の母に話したら、そのよさを共感してもらえていい親子会話の記憶として残る。

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そしたら、東京に戻る新幹線の中で食べた牡蠣弁当で食あたりして四日間下痢のオンパレード。授業の合間で受けた社長面接中も実は下痢を抑えるのが手一杯で、結局はなぜか封筒で不合格通知が届く。内定一歩手前で一社目終わって、その時また「まぁ、そんなものだよね」となったけど、一か月後の就活本番前夜の今、そこそこ悔しくて、不安を募る。新聞社大手三社ともエントリーシートで落ちて、コンサルを出したりなけなしのメディアを出す日々だけど、どうにもならないかもと思ってとりあえず説明会に応募して受ける日々。

去年の夏から、思えばこんな短い文章でそこそこ要約できるものだけれど、もちろんこんなんでは私の気持ちを表せたとは言えない。短すぎて、固有名詞があまりにも少なくて、実際のコロナ下の就活というテーマよりは、やはりどこか文学チックに自分の過ごした半年を脚色したがるの人間の(いや、私の?)悪い癖。そもそも、気持ちを表すってなんやねんと、なけなしのツッコミを入れたくなる。先週読み終わった武田砂鉄さんの『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版、2020年)がだいぶ心に蟠っているみたいで、どうも彼の考えをトレースしながら文章を書いているこのごろ。

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そもそもこの半年の出来事の実感は、おそらくどこにも存在しない。瞬間瞬間として存在するのも怪しいし、全体を通しての実感も、その記憶を一連として思い出してみる努力をしたのも今が初めてで、言うなればその記憶自体日々改ざんされ続けている。そんなごちゃごちゃな色々を「気持ちを言葉で表す」というのなら、その素材となるのは一体何なんだろうなぁとしみじみ思う。それはあくまで今この文章を書いている現在の私でしかない。その自分も書いているうちの過去の向こう側に消え去っていて、後ろ姿さえぼんやりとしか見えない。

武田さんの言う通り、元々の文章とその要約はもはや別物で、要約を読んで元の文章を体感した勘違いするのはやはり間違いだろう。そうだとすれば、自分の過去の体験を言葉に表す行為もある意味その「要約」という行為に近いのだろう。一部の読書研究家がいうように、読んでいる間にしか元の文章が意味を持たないし存在しない。読んだ文章を要約する時、要約を読む人だけではなく、すでに要約をする人でさえも、読んでいる間にしか元の文章が意味を持たないのであれば、原文を意識しているつもりでもそもそもそこに存在しない「原文」という幻を素材としている。

しかし、それはまた別のときの話。

 

記者の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ、

北海道の話をしよう、と自分で決めていたつもりだったけれど、相変わらず私のコミットする能力は低いようで北海道の話をする前に別の語らねばならない話題ができた。勿論それはそれでよいことだけれど、いずれ始まる社会人生活というものの中で、こんな自分の書きたいときに書きたい文章が書ける環境はあっという間に崩れるのだろう。

ということで、今日は記者という仕事について書いてみたいと思う。直接的なきっかけとなったのは、茂木外務大臣とジャパン・タイムズ紙の大住マグダレナ(Magdalena Osumi)氏の間に起きた短い言葉の応酬である。この大住氏はどうやらポーランド出身のようで日本語が第二言語であるというところまでは分かるが、それ以上のことは今回の件で問題視されていないようだ。

今回東京に来てからツイッターで現役ジャーナリストのツイッターから情報を集めるのが趣味の様なものになっていて、彼らがそこで築いている高教研の様なものが興味深く、そのおかげで今回の件がいわば炎上する前にすでに当該の動画を見て、ある程度真っ白なまま意見形成ができた。

実際の会話が行われたのは、2020年8月28日の茂木外務大臣の記者会見。世界地図をバックにした茂木外相が大住氏による「在留資格を持つ外国人の再入国を規制する科学的根拠」というものについてであり、いわゆるダブルスタンダードというものを問題にしている。質問は最初は少しよどみがちであるが、後半は私から見ると明朗で聞きやすいと一応書いておこう。

私もジャパン・タイムズを一日に一度はチェックし、彼女がこの問題についてしばらく前から追っていることを知っていた。この問題について中々進まない、政府側からも中々ちゃんとした答えが出てこないことも前々から知っていた。動きそうで動かない、期待を裏切られることもあるので、今回それが変わるような兆候も特になかった。

なので、茂木大臣が、現政権同様にとりあえずなにかしらのやりかたで返事をごまかし、なんとかあしらおうとすることも目に見えていたといって過言ではない。今回問題になったのが、そのやり方として彼女の日本語能力を侮辱した、とも受け取れる形になったからである。

そこに入る前から茂木大臣は「各国がそれぞれの水際対策をしている」「国の主権にかかわる問題であり、日本としては適正な処置を取っている」という、これもまた日本・外国を二極として置く論調で返答している。再び「科学的根拠」について尋ねる大住記者に対して戻ってきたのが「What do you mean by scientific」という英語だった。大住記者の返事は「日本語でいいです。そんなに馬鹿にしないでください」というものだった。

ここからが、おそらくこれを読む日本人・在日外国人と別れるところであって、その上おそらく私はそのどちらでもないカテゴリーに入るんだろうと思う。まず、一部の人からは「質問の意図を明らかにしたいだけで他意はなかった」という見方。それに対し、大住氏自身が述べる「日本語の質問は日本語で返すのが当然であり礼儀」というもの。

記者でなくとも、日本に来る外国の人たち、またはずっと日本で過ごしていても外国人として認識される人々は、このような経験をしているだろう。そして、中には「馬鹿にしないでください」と、ムカッと来る人はそれなりにいるだろう。日本語をかなり長い間やって、特に喋り方に気を付けてきたつもりで、私はほとんど経験しなくなったけれど、それでもやはりお店では英語メニューを渡されることは当たり前のように起こる。

これがなぜ起こるのだろうか? よく言われるのが「日本語は難しいから、外国人ができるとは思えない」という高圧な態度があるからである。けれど、それは言い換えれば「おそらく日本語で話しかけても分からないので、英語ができる確率が高いだろう」という態度ともとれる。勿論、みなさん英語が分かるとは限らないにしても、それはそれで無知の問題で会って、悪意とか高圧的な態度としては解釈されるものでもない。

この問題を難しくしているのが、私も当事者であることだ。一方で経験があるからそれを元に語れることだろうけど、むしろツイッターなどの書き込みを見る感じだとこれが私も同様だが邪魔になることもある。一つには「彼女の日本語が完璧なのに、失礼だ」というようなものがある。けれど、実際最初の質問は少しどもりがちで、完ぺきとは言えない。

何が問題化というと、ここで実際彼女の日本語能力自体を取り上げたり、日本人一般の外国人の日本語学習に対する態度を論ったりしてしまうと、いつの間に全体的な話になって、この問題の「政治性」から目を背けてしまう。そして、それこそが茂木大臣が、狙ってかいなかはともかく、この会話の中で得た「結果」なのである。

一個の質問から逃げるため、彼女が外国人であり、日本語が第二言語であることを使って、問題自体に答えることをかわそうとした。これこそが彼の罪状である。それが「人種差別」や「侮辱」にあたるのかは、正直私には断言できない。ただ、言葉通り大住さんは「馬鹿にされた」と認識しており、大臣の方は「馬鹿にしていない」というところに論陣を張るだろう。

実際、問題の数日後、大住さんはツイッターで「日本語を完璧に話せない人は記者として働くな」や「記者会見の場にいるべきではない」という野次を受けたことを明かす。そこで彼女が挙げた問題は「完璧に自言語を話す人なんて、どれぐらいいるんだろう」
本人曰く「自分は余り公共の場で話すのは得意ではない」ということで、これも重要なポイントだろう。日本語という問題ではなく、公共の場でしゃべること自体も難しい。その上で「じゃ、記者になるな」と言われるとどれほどの人がシャットアウトされるだろう。

先日、私は日本の某新聞社のインターンのオンライン面接を受けました。面接自体は私は自分の話す能力でうまく乗り切ったつもりだったが、残念ながら不合格であった。その理由はもちろん明かされない。実際面接中に同紙の英字版を指摘され、本当に日本語で書いていきたいかという確認の質問もあった。けれど、私はそれを不快とは思わず、むしろ当然の質問として受け取った。その点が信用できずに落とされたのなら勿論残念だが、それはそれで仕方ないとも思う。道は一つではない。

ただ、やはりそもそも論として、今回の炎上のせいで「大臣が外国人の属性を利用し、答えるべき質問をかわした」という記者クラブの問題性の方を指摘したい。同じ外国人として義憤にかられ、大住氏の側に立つのもよいが、この場合は私は自由なジャーナリズムの側に立ちたいと思う。いずれ、私も同じ立場に立つことを夢見る一人として。

しかし、それはまた別のときの話。

北海道の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

とりあえず北海道のことを書こう。というのは、この場合どこまで実際北海道である必要性があるのか、微妙なところである。それこそ恐らく旅の本質である。北海道に行って私が気づいたのは、旅自体が一つのツールであるということだ。数年前、もはや十年ぐらい前になるかもしれないが、「Eat, Pray, Love」という映画が流行ったことがある。個人的にこの映画を見ているわけではないけれど、この種の映画はもはや映画自体を超えて、一つのミームとして成立している。すなわち「自分探しの旅」である。へそ曲がりであまのじゃくな私だから正直ここまでストレートに書くことがあるとは思わなかったけれど、今回の北海道への旅は図らずしてこういうたびになった。

かといって、特に失恋したり、失業したり、失ったものを取り戻す旅だというわけではなかった。コロナのせいで精神が飢えていたこと以外、直接旅に出るように促したものは特にない。ただ、圧倒的にコンファートゾーンから出たいという気持ちは、おそらくずっと心の奥底で燻っていたんだろう。そしてそれがこれ以上ない濃い旅行の形で実現したということだ。

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北海道から帰ってくると、お土産はいくつかあった。富良野で買った梟の載ったロウソク。空港で買った十勝牛乳を使ったカタラーナ。知床の道の駅で買ったバニラ色の白熊のT-シャツ。アイヌの人たちに会いに行った証としての麻布の目印。そして、尺別という小さな村の廃駅近くの海で拾った、海と硫黄の臭いが残る妙な形の木片。そして、出会った人たちとの他愛もない会話の記憶という、土産話の数々。普段ここまでないが、思えば今回の旅行で多くの「土産物」を持ち帰ったようだ。

自分のコンフォートゾーンの外にしか、出会いはない。この事実に改めて気づかされた旅行だった。けど、出てみれば出会いはそこら中にある。宿で出会った、旅行中の札幌出身の三世代家族と会って、お爺さんとお婆さん、成人した娘二人と、一歳ちょっとの孫息子が思った以上に愛着がわいてしまい、遊んであげたのか遊ばれたかは分からない。存在するだけで可愛いのってこういうことって話になり、笑いながら「私も生きているだけで可愛いって言われたい」と笑いながら愚痴を垂らす若いお母さん。

知床を通る際に、もう一つの出会いが衝撃的であった。なんと、ヒグマの親子とも対面することになった。こちらもまたお母さんがしっかりしており、子熊二人がなかなか可愛くて、恐ろしいという気持ちが麻痺してしまったのか、ただその生態がどうなっているのだろうとか、クマの方に感情移入してしまう。

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こんな風に、今回の旅行は色んな側面から自分のとって新たな視点が開いたのだ。別に新しい知識を得たわけではなく、ただ自分がずっと外側でいた色んなものに対し、自分の中に押し込むことができたというか、実感できたのだ。知識は結局のところ行動の判断基準でしかなく、その行動自体に移せないなら知識を持っていてもしょうがない、ということを思い知らされた。けど、東京に戻ってみると自分は相変わらず自分で、自分の殻に引き籠る理由に事欠かないこの世の中において私はあっという間にいつものように一人でコツコツと読書する日々に戻った。

こんなにも濃い旅をした後、むしろどのようにして言葉にしたら伝えられるだろうか?むしろ、その旅の何が伝えたいのだろうか? 最初に言った通り、おそらく書きたいのは「北海道楽しかったー」などの上滑りな文章とかではなく、むしろ北海道というまだまだ未知の地域、そこに住む人々、出会えた景色と対峙して、私自身がどう感じ、自分の認識がどう変わったのか、旅を通じてそういう心象風景である。それはあくまでも私自身にしか価値の分からない文章になるかもしれない。

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だからこそ、我々は往々にして「自分探しの旅」をダサいと罵ってしまうのかもしれない。もちろん本当に表面的なことしかやっていないのに場合も含まれるだろうけれど、中々稀有な体験をした人でさえ、その経験自体のなにがすごいのか、自分はそれに対しどう思い、自分がどう変わったのか、言語化できないのが常である。それが何らかの形で将来における自分の行動に現れればいいが、それだけでは足りないと感じるからこそ、今私はこの文章を書いているのかもしれない。

北海道の話は、まだまだある。なので、今後も少しずつこれの続きを書いてみたい。それが今後の自分の文章を新しい段階に発展させていくのを切に願う。

しかし、それはまた別のときの話。