万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

2018-01-01から1年間の記事一覧

オランダ人の自分、日本人の自分の話をしよう

ようこそ、万事屋「和華蘭堂」へ! 佐賀について、一週間ほどが経つ。一週間という短い期間も、やっぱり自分の専門である日本で過ごしているといろんなことがあり。仕事にだんだん慣れてゆき、佐賀という街での生活、佐賀の人の考え方やしゃべり方も常となっ…

佐賀の話をしよう

ようこそ、万事屋「和華蘭堂」へ! 以前のこのブログは、オランダでの生活で気づいた一言や二言をただただ徒然と語る、自己発信と自己満足のためのものであった。それは必ずも主観的で客観的であろうとしない。なぜならそもそも私の考えであるから、真実だと…

魍魎の話をしよう

ようこそ、万事屋「和華蘭堂」へ! 私は22年間生きていて、人の性格に普遍性などない、いやある、いややはりない、というような脳内の押し問答を続けてきた。もちろん常日頃からそうしているわけではない。そんなことをしていたら日常が遅れなくなる。 私は…

Netflix の話をしよう

ようこそ、万事屋「和華蘭堂」へ! 読書家、とりわけ京極先生なんて大層分厚い本とか読んでいるとどうしてもある種の偏見、偏った印象がついてしまう。漢字好きも、ジャズ好きも、落語も多分同じような「渋い」という印象が伴ってしまうから、私が自分の身辺…

道具の話をしよう

ようこそ、万事屋「和華蘭堂」へ! 佐賀を夢見る日々が続き、ついには三週間を切ってしまった。Japan Festivalという大きなイベントが去ってしまった現在、最早やがて来る日を待つのみ、という感じなのだね。そのせいで、無意識のうちに私の心が急に寂しがり…

再開の話をしよう

ようこそ、万事屋「和華蘭堂」へ! この言葉で始めたブログを再開するにあたってやはりこの謳い文句は欠かせない。しかし、自動変換にならないということだけでも、時間が絶えず流れてしまっていることを物語っている。ブログを書くのをなんとなく辞めてから…

兄妹の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! もうそろそろブログ書きも潮時か、と半ば考えていたところにこういうなんとなくいろんなことがはかどる日が訪れてくれるから中々やめられない。自分の一部であることは一階忘れていてもいずれか不意と思い出し、また関わりた…

不気味な話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! ご無沙汰しています、といいたいぐらいでもないけれど、この数ヶ月で始めて3日もあけてしまったのがかなり痛い。決して文章を書くことが嫌いになったわけではない、ただただ生活習慣の変化が著しいだけだ。ツイッターの呟き…

雑食の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! 時間がない、という話をしてからまた時間が過ぎ、気がつけば月曜日の夜だ。一日の休息を大事にして、夜はまた配達物の整理だ。中々シビアなスケジュールと今更ながら思うけれど、明日はまた楽しい約束もあり、友達との拘留も…

時間の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! 時には全く話題を思いつかずだらだらと考えてしまうけれど、それを普段は残念なこととして思っていた。思っていたけれど、そしたら話題を決めてもどうせだらだらと書いてしまうもんだから決めても決めなくても一緒なのではと…

会議の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! 社会人でなくとも、会議というものはたまに遭遇するものだ。そう、なにかの組織に属している限り必ずやってくるものだ。家族会議や住民会議、井戸端会議などは昔から普通な日本語として定着している。もちろんその意味は微妙…

YouTubeの話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! ここ十年、二十年、人間の住む世界がめまぐるしい速度で変わってきた。インターネットが普及し、我々はデジタル時代に突入した。今までなかった掲示板というツールで知り合う人々、インターネットデーティングなどが社交的な…

夜の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! ブログを書いて見て段々分かってくることはといえば、自分がいかに夜中まで出歩いているかということだろう。大学部のころはよさこいの練習で平気で週三回0時すぎに帰ったりしてそのまま寝て朝8時とか起きてたし、今はバイ…

東南アジアの話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」の話をしよう! 前日の長崎の話に続き、もう少しアジアの話をして見たいと思う。なぜなら、ここ一年俄然と行ってみたいと思う気持ちが段々湧いてきたからだ。どちらかというと旅行に対して保守的で消極的だった私は、日本じゃない…

長崎の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」 へ!今日は小説と歯医者の暴挙に委ねた一日となった。それもよいが、そのせいでブログを携帯で打つはめになった。携帯小説、今時はやらないと思うがな。ここで今さらではあるが、この屋号の由来を明かそう。知っている人もいるん…

LGBTQ+の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! 誰もがしたいもの。誰もが憧れるもの。恋とは多分人間なら誰もするべきだと思っているのではないだろうか。そういう迫力を持つ概念なのだ。実際は恋をしない人の数が多分圧倒的に多いのに、する人たちに対して私たちはねたみ…

非言語的コミュニケーションの話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! 本が好きな私は、文学作品の中で行中を読み、文脈を読み取り、作家が何を言わんとすることをある程度できるようになっている。この技術は、本を一杯読めば誰でも習得できるものだ。特に推理小説の類では、これによって読者が…

合宿の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! 最近やたらと週末になると泊りがけの予定が入ってしまい、ゆっくりブログを書ける環境がないのだけれど、実際書く習慣がついているのなら毎日書かなくとも良いとは思う。無理して書くより、たまたま心にしみた一言だけでも1…

地図の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! 本好きの中にもいろんな種類がある。本を読んで現実逃避したい人、本を通じて普段めぐり合うことのない世界を見たい人、人の想像力の結晶がただただ面白い人、自分の人生に役立てそうな情報や技術を探訪する人。本を読む人の…

国民性の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! 京都から戻ってきて、そろそろ一年になる。そう言葉にすると、「帰る」ではなく、「戻る」という言い方をしてしまう自分に気付く。確かに、京都にいたころからしては帰ると言う方が正しいように思えるけど、いざオランダに帰…

国内観光の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! 「観光」という言葉を聞くと、近年では色んな違うものを思い起こすことがあるだろう。もちろん、名所旧跡を見て回るのが一番先に出てくるとは思うけれど、巡礼や爆買いもまた観光の部類だろう。つまり、何か自分の利益になる…

みたびよさこいの話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! さて前回までのあらすじ。花火大会に行き、友達とわいわいし、終電帰ろうとしたところに挫折した私。そこからはいろいろな人のおかげでどうにか家に着くことができたが、着くとすでに4時半。そしてそれからの話がこうだ。 実…

オランダ鉄道の夜の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! ブログをはじめて、何を書けばいいのか分からないときがある。そういう時は先日のようにただただ徒然と書いてみることにしている。それとは裏腹に、ただ書けないという事態も起こってしまうことがある。つまり、物理的に書け…

隣の芝生の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! 今日は特に話題が思い浮かばないものだから、久しぶりに徒然と書いてみることにしよう。そこでぼんやりと浮かんだのが、「隣の芝生がより青い」というせりふだ。今日の昼、面接に向かう道がまさに芝生が青々と茂る場所を通っ…

創作の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! 今更言うこともないのだけれど、ここ数日はどういう心境の変化か、自然と執筆に割く時間が多くなってきている。これが実際実を成し、今では京都で書いたあの論文よりも文字数が多いワードファイルが出来上がっている。結果は…

また進路の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! 数日家を空けて帰ってみると、いつも見つけることがある。毎日の生活に、新しいものや経験への扉が散らかっている。それを認識するか田舎の問題だ。大学をいったん卒業し、半年の間のフリーターという名の空白が生まれ、自分…

キャンプの話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! 私は紆余曲折あって今ではすっかり旅大好き人間になってしまったわけだけれど、これは基本「どこかの国に行って、ベッドあれば十分という安宿に泊まって、うまい飯を食べ美味しい酒を飲みよいものを見てその国を満喫する」と…

心身の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! 人間という物は常識から言えば、身体と心、この二つでできている。二つでできてはいるが、その関係性が甚だ難しい。こんなブログごときでは、陳腐なことしかいえない。せいぜい、心身一体論だとか、唯物論だとか、そのような…

高知の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! よさ鯉をやっている人たちにとってこれは勿論自明のことなのだけれど、日本内でよさこいというのは名古屋ど真ん中祭り、先日私が参加した札幌のソーラン祭りに並び、聳え立つ存在がつまり高知のよさこい祭りである。毎年8月…

自己分析の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ! 生きていて誰しもが、自分は何者だという問いをしてしまう時はあるだろう。いましていなくても、世間一般としてこれが意味のある問い、問うべき問いであるというのは当たり前として思われている。これはどちらかといえば個人…