万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

記者の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ、

北海道の話をしよう、と自分で決めていたつもりだったけれど、相変わらず私のコミットする能力は低いようで北海道の話をする前に別の語らねばならない話題ができた。勿論それはそれでよいことだけれど、いずれ始まる社会人生活というものの中で、こんな自分の書きたいときに書きたい文章が書ける環境はあっという間に崩れるのだろう。

ということで、今日は記者という仕事について書いてみたいと思う。直接的なきっかけとなったのは、茂木外務大臣とジャパン・タイムズ紙の大住マグダレナ(Magdalena Osumi)氏の間に起きた短い言葉の応酬である。この大住氏はどうやらポーランド出身のようで日本語が第二言語であるというところまでは分かるが、それ以上のことは今回の件で問題視されていないようだ。

今回東京に来てからツイッターで現役ジャーナリストのツイッターから情報を集めるのが趣味の様なものになっていて、彼らがそこで築いている高教研の様なものが興味深く、そのおかげで今回の件がいわば炎上する前にすでに当該の動画を見て、ある程度真っ白なまま意見形成ができた。

実際の会話が行われたのは、2020年8月28日の茂木外務大臣の記者会見。世界地図をバックにした茂木外相が大住氏による「在留資格を持つ外国人の再入国を規制する科学的根拠」というものについてであり、いわゆるダブルスタンダードというものを問題にしている。質問は最初は少しよどみがちであるが、後半は私から見ると明朗で聞きやすいと一応書いておこう。

私もジャパン・タイムズを一日に一度はチェックし、彼女がこの問題についてしばらく前から追っていることを知っていた。この問題について中々進まない、政府側からも中々ちゃんとした答えが出てこないことも前々から知っていた。動きそうで動かない、期待を裏切られることもあるので、今回それが変わるような兆候も特になかった。

なので、茂木大臣が、現政権同様にとりあえずなにかしらのやりかたで返事をごまかし、なんとかあしらおうとすることも目に見えていたといって過言ではない。今回問題になったのが、そのやり方として彼女の日本語能力を侮辱した、とも受け取れる形になったからである。

そこに入る前から茂木大臣は「各国がそれぞれの水際対策をしている」「国の主権にかかわる問題であり、日本としては適正な処置を取っている」という、これもまた日本・外国を二極として置く論調で返答している。再び「科学的根拠」について尋ねる大住記者に対して戻ってきたのが「What do you mean by scientific」という英語だった。大住記者の返事は「日本語でいいです。そんなに馬鹿にしないでください」というものだった。

ここからが、おそらくこれを読む日本人・在日外国人と別れるところであって、その上おそらく私はそのどちらでもないカテゴリーに入るんだろうと思う。まず、一部の人からは「質問の意図を明らかにしたいだけで他意はなかった」という見方。それに対し、大住氏自身が述べる「日本語の質問は日本語で返すのが当然であり礼儀」というもの。

記者でなくとも、日本に来る外国の人たち、またはずっと日本で過ごしていても外国人として認識される人々は、このような経験をしているだろう。そして、中には「馬鹿にしないでください」と、ムカッと来る人はそれなりにいるだろう。日本語をかなり長い間やって、特に喋り方に気を付けてきたつもりで、私はほとんど経験しなくなったけれど、それでもやはりお店では英語メニューを渡されることは当たり前のように起こる。

これがなぜ起こるのだろうか? よく言われるのが「日本語は難しいから、外国人ができるとは思えない」という高圧な態度があるからである。けれど、それは言い換えれば「おそらく日本語で話しかけても分からないので、英語ができる確率が高いだろう」という態度ともとれる。勿論、みなさん英語が分かるとは限らないにしても、それはそれで無知の問題で会って、悪意とか高圧的な態度としては解釈されるものでもない。

この問題を難しくしているのが、私も当事者であることだ。一方で経験があるからそれを元に語れることだろうけど、むしろツイッターなどの書き込みを見る感じだとこれが私も同様だが邪魔になることもある。一つには「彼女の日本語が完璧なのに、失礼だ」というようなものがある。けれど、実際最初の質問は少しどもりがちで、完ぺきとは言えない。

何が問題化というと、ここで実際彼女の日本語能力自体を取り上げたり、日本人一般の外国人の日本語学習に対する態度を論ったりしてしまうと、いつの間に全体的な話になって、この問題の「政治性」から目を背けてしまう。そして、それこそが茂木大臣が、狙ってかいなかはともかく、この会話の中で得た「結果」なのである。

一個の質問から逃げるため、彼女が外国人であり、日本語が第二言語であることを使って、問題自体に答えることをかわそうとした。これこそが彼の罪状である。それが「人種差別」や「侮辱」にあたるのかは、正直私には断言できない。ただ、言葉通り大住さんは「馬鹿にされた」と認識しており、大臣の方は「馬鹿にしていない」というところに論陣を張るだろう。

実際、問題の数日後、大住さんはツイッターで「日本語を完璧に話せない人は記者として働くな」や「記者会見の場にいるべきではない」という野次を受けたことを明かす。そこで彼女が挙げた問題は「完璧に自言語を話す人なんて、どれぐらいいるんだろう」
本人曰く「自分は余り公共の場で話すのは得意ではない」ということで、これも重要なポイントだろう。日本語という問題ではなく、公共の場でしゃべること自体も難しい。その上で「じゃ、記者になるな」と言われるとどれほどの人がシャットアウトされるだろう。

先日、私は日本の某新聞社のインターンのオンライン面接を受けました。面接自体は私は自分の話す能力でうまく乗り切ったつもりだったが、残念ながら不合格であった。その理由はもちろん明かされない。実際面接中に同紙の英字版を指摘され、本当に日本語で書いていきたいかという確認の質問もあった。けれど、私はそれを不快とは思わず、むしろ当然の質問として受け取った。その点が信用できずに落とされたのなら勿論残念だが、それはそれで仕方ないとも思う。道は一つではない。

ただ、やはりそもそも論として、今回の炎上のせいで「大臣が外国人の属性を利用し、答えるべき質問をかわした」という記者クラブの問題性の方を指摘したい。同じ外国人として義憤にかられ、大住氏の側に立つのもよいが、この場合は私は自由なジャーナリズムの側に立ちたいと思う。いずれ、私も同じ立場に立つことを夢見る一人として。

しかし、それはまた別のときの話。