万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

とりあえず、の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ。

このブログを立ち上げた時当初の趣旨としては、毎日とりあえず一つ話題を決めて書くことだった。今となっては、話題を決めることがいかに難しいことかということを思い出す。今日は、とりあえず書くことにした。ゆえに、書く。自己完結的である。

昨日一昨日、大学の一個下の後輩が東京を訪れ、一個上の先輩の所に止めてもらったのはいいが、週末が開けばその先輩も仕事があるのでとりあえず私が東京放浪に付き合った。ただ何も決めていないし、こっちのアイディアの多くがボツにされ、彼女の「とりあえず」に会わせる結果になった。この場合はつまり、カフェ巡り、文房具巡りである。新しさもある中、本当に人それぞれ思考経路が全く違うものだと思い知った。

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この「とりあえず」という言葉に、私は日本語をやり始めてから(習ってもいないし勉強も少しニュアンス的に違うからこう表現させてもらうが)ずっと翻弄され続けている言葉である。日本語は確かによく言われているようにハイコンテクスト、つまり文脈が非常に大事な言語である。これだ、という理由は多分ないけれど、いずれにせよ今我々が使う日本語は、あいまいな表現が非常に多く含まれている。

その代表格としては、とりあえずがある。理由は特にない。適当だ。一番手っ取り早い。一番手間がかからない。一番負担がない。熟考することももちろんないわけでもないが、人間の判断の多くは、とりあえずで決まる。広義にも出てきて、数年前に流行ったカーネマン先生の『ファスト・スロー」という著作が人間のこの二つの思考経路の分別を説明しているが、要は上の通りである。とりあえず、ビール、とはこの習性を洒脱に表現しているのだ。

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なので、今日はいつもよりさらに書くための敷居を下げるために、とりあえず話題を決めるのでもなく、とりあえずを話題にするのである。まったく、人間とは怠惰なものだ、という見方ももちろんできるけれど、そもそもこんな風に分けて考える仕組みが人間の精神にあるということを思うと面白いものだ。

問題があるとすれば、それはこの習性の存在に人間が気づいてしまって、それ込みでビジネスをしようとする輩が現れたことである。といってもそれは利益が取れるならビジネスになるという、資本主義上の心理から見れば当然の成り行きではあるが、どのみちやっかいな事態である。

CMしかり、本の表紙然り、そもそも優劣を決める第一印象そのものを操作しようという点では身のこなしだったり綺麗な服着たりすることも「とりあえず」いい印象を持ってもらうためであるといえる。例えば白衣を着て、眼鏡をかけたら賢そうに見える、ハロー効果もこのような精神的習性を表した概念である。

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ただ、その習性の存在さえ知っていればただただ悪い方面に働くはずもない。なんせ、いいか悪いか決めるのは人間だから。利益のために利用する外部の人もいるとして、我々一人一人がその習性の存在を知っていることでできることもある。つまり、自分が「とりあえず」やることを、社会的、また自分のキャリアパス的によい方向に誘導することである。

物事をなにもかも熟考したりしたらそれこそキリがない。中学校の頃、哲学かぶれで正直言えばニヒリズム系の中二病だった私でもそれぐらいは分かっている。だけど、日常のちょっとした工夫でやりやすくなることも結構多いだろう。部屋に日常的に使うものを置くだけで結構変わるものだと、多分だれしも実感がわくものだと思う。それを見えるようにすることで、無意識に「見る」という行為を行っているだけで、普段以上の負担なく「とりあえず」が生まれる。こんどこそ、いい方向に、だ。

さて、私の毎日をどう工夫すれば大学院入学から充実した生活が送れるだろうか。今からでも考えておくことだね。まずは、アルバイト先の上司がしたように、本棚を増やして自分が持っている資料を可視化することから始めてみることにしたいと思う。

しかし、それはまた別のときの話。