万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

眼差しの話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ。

私は今まで数年間(実際何年かはわりとどうでもよくなってくるぐらい)日本で生活してきた。東京に着いてからも、そろそろ一年間が過ぎようとし、去年一人で見た桜をできることなら今年こそ誰かと見あげながら一杯やって楽しみたいと思うごろになってきた。

そこでふと思いついた疑問が一つある。日本で、外国人として住むこと、とは。

オランダで私が生活してきた20年余りがある。日本で生活した2年以上、3年未満がある。この非対称もさることながら、その間は私も人間として成長したりしなかったり、変わったり変わらなかったりしている。自分の内面の話だけでいえば一つの繋がった物語がそこにあって、記憶しながらも、自分の都合のいい方に取捨選択して、今の自分があるのだ。

f:id:yorozuyawakarando:20200224170934j:plain

ただ、外からはそんなことは分からない。初めて会う人でその日体調悪かったりするのもそうだけど、たまたま洗濯に時間を割けず靴下が違うとか、その日に限ってコンタクトではなくレンズしていたり、その前日髪をバサッと切ってもらってショートになっていたりしても、それが第一印象なら向こうから見たらそれがあなたである。

もちろん、そんなことを意識しながら生きている人は少ない。多くの人は他人に関して割と無関心である。「世間」を気にしていても、この人から見て私はどうなの、という個人からの見られ方というのは、自分がその相手を見て、初めて見られていると実感するのが普通である。幸か不幸か、大体の場合、相手のことを本気で見ようとしない。

f:id:yorozuyawakarando:20200224171022j:plain

先日、以前から行きたいと思っていた神楽坂の日本酒バーに行こうと、最近再会した大学の先輩を誘って出かけた。その先輩が仕事で忙しいこともあって、人気店だから私が電話してカウンター席を予約した。この点電話は楽で、個人を相手にしても、まず「見られている」ということから解放されている。ただ、自分の名前を言う時、先方が何べんか、聞き返すことがあった。私は日本語は割と達者な方だけれど、活舌じたいはあまりよくなかったりするから、それが原因と思って、その電話を切った。

けれど、後日実際その店に行って、最初は先輩と二時間ぐらいオランダ語で話してからお互い酔いも回って店員さんの女性二人とカウンターの他の客と日本語で絡むことになって、その時予約を受けた店員さんがたまたまいて、私が電話をした本人ということに驚いていた様子だった。いわく、最初は日本人かと思ったら、名前を聞き取れずに動揺して何度か聞き返して失礼しました、と。

f:id:yorozuyawakarando:20200224171212j:plain

この場合は酒も入って、ということもあって気にしなかったけれど、確かに話し方と見た目や名前には大きなギャップがある。まさかこの人が、というのは一般的な感覚だ。大学に入学したころに流行った風刺動画で、定食屋に黒人や白人数人とアジア風の一人というグループが店に入ってきて、店員が日本語で話してくる黒人を無視し、日本人に見えるが日本語が通じない一人に執拗におーだを聞く、というものがある。ここまでシビアではないだろうけど、日本語がある程度できる欧米の人ならどこかで経験していることだろう。

ただ、ここで敢えて、そういう「差別」のような話を避けて、お互いの認識のずれの話に焦点を当てたい。不肖欧米代表として言わせてもらうと、私たちにも非がある。というのは、日本で日本人と社交を行う時、我々はたまさかズルをしたがる傾向にある。私は日本語ができるのに、この人とは話が合わない。誰も相手にしてくれない。友達が作れない。特に長い間ひとりでいると、こういう僻んだ考えになりがちなのだ。

でも、考え見たらそんなのこっちの都合で、向こうがわざわざ話しかけてくる理由もない。勝手に消極的な態度をとる、というのは日本に来る外国人(もちろん、誰しもがこうだとは言えないまでも)の悪い癖である。だったら自国にいて同じ態度で友達を作ろうと思うもんなら、痛い目に遭うのがオチである。

f:id:yorozuyawakarando:20200224171251j:plain

人間関係において、恥ずかしい気持ちをしたり、相手に迷惑をかけたりすることはつきものだ。避けては通れない。私は過去にも今でも、日本語ができない、自分に自信がない、話すことないと、理由を並べて話してみたい人、面白いと思った人から顔を背けてきた。これからも偶にそうするだろうけど、少なくとも「日本人」「外国人」の差を理由にして逃げることにそろそろ終止符を打ちたい。

私は人間。向こうも人間。話せばわかる。分からないときは、人間同士の相性の問題であって、向こうが日本人だとか、私がオランダ人だとかほとんど関係ない。こんなの当たり前のことで、筆を執らずとも読んでいる人々にとって飽きられることもあるだろう。

けど、これをまだまだ当たり前のこととして考えられないあなたには、この文章を読んでくれたことで少しでも次他人と対面する時に思い出してほしい。どんな仲のいい友達も、他人からだ。たまには進んで恥をかかないと人生なんてつまらない、ぐらいの勢いで私も進んでいきたい。

しかし、それはまた別のときの話。