万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

宇宙の話をしよう

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変換機能に上野文相が記録されているわけだから、そろそろこのブログが日課になってきたことが身に染みて分かる。定期的に自分の考えを言葉にするのはやはり大事だと
思う。しかし、やっぱり言葉にするだけではなく、会話をしようとする努力も必要だ。
独白ならいざ知らず、現実での会話は基本二人以上の人間が交わすものだし、その場合はどうしても意見のすれ違いやかみ合わない定義が出てくるわけだ。それは熱が深ければ深いほど必死にぶつかり合うわけで、すればするほどそこで得られる傷も深いのだ。そこで私は、宇宙の話をしたいと思う。

この「宇宙の話を使用」は何を隠そう、先日述べた小山宙哉作の「宇宙兄弟」という漫画からのセリフで、好きな漫画だけに色んな名シーンや名台詞が思い浮かぶ。ただしまずは読者の便宜を図って宇宙兄弟のあらすじを話すことにしよう。物語は難波兄弟という、少年期から宇宙にあこがれ、UFOらしきものを見たことをきっかけに兄六太(むった)と弟日々人が宇宙飛行士を目指すことになった。しかし序盤で日々人は宇宙飛行士に採用されるものの、同時に悪運の星のもとに産まれた六太は、会社の上司ともめた挙句首にされたばかりだ。そこからは六太が再び宇宙飛行士という夢に熱を燃やすことになり、彼が採用試験に挑む過程で、宇宙飛行士のなんたるか、また様々な哲学的なテーマを扱いながら物語が続くわけだ。

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この話の中で、宇宙飛行士選考試験に挑む主人公六太は試験場で仲間やライバルができ、最後に隔離施設での生活という試練を迎える。様々なストレス源となる試験管の妨害や心身ともに疲れる中、彼らの間にはどんどん険悪なムードが漂う。そこで六太は「宇宙の話をしよう」と、突如言い出す。他の受験者は勿論驚くのだが、話せば話すほど自分らに共通する「宇宙へのあこがれ」を確認することになり、結果的に場が和むことになる。矛盾しているようだが、宇宙の話をすることでしっかり足を地面に踏み込み、自分らの土台となる何かを確認することができたわけだ。

何が言いたいかというと、昨今世間でよく話されるようになった人種差別問題、いじめ問題、LGBTや女性に対する差別など、実に議論に足る問題が多いわけだが、それらは往々として最初に述べたように定義のすれ違いや意見のぶつかり合いで議論の体をなさなくなる。声の出開放、多い方が議論を制し、合意を強引に決めてしまう。

しかしそれは真の合意にあらず。新しい単語や概念の定義、また古くからあるものの再定義は時間をかけてできるもので、そのような議論はその意味でも需要である。しかし同じ分野に興味を持っていても定義がまったく一緒とは限らないから、やはりそこは話し合って、議論しあって、その結果合意というもの、定義というものができるのだ。
言語学はこのようにして人間の社会的活動と切り離せないわけだ。

追記:実は普通に宇宙兄弟の話がしたかったが、つい頭の中でごちゃまぜになったものだ。今度はサウンドトラックの礼賛でも書いておこう。

しかし、それはまた別のときの話