万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

雑食の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

時間がない、という話をしてからまた時間が過ぎ、気がつけば月曜日の夜だ。一日の休息を大事にして、夜はまた配達物の整理だ。中々シビアなスケジュールと今更ながら思うけれど、明日はまた楽しい約束もあり、友達との拘留も絶えずできているからそれなりに持ちこたえている。というか、それなりに充実しているのだ。

私は結局一個人であって、そこまで自分の考え方を人に落ち着けたいとは思わない。かといって、自分の考えを持たないことも良しとしない。人間はいかにして利己的で自己中心的な生き物であるのかは知っているし、自分もその人間の一人としての自覚はある。だからこそ、生きていて人間は貪欲でいるべきだと思う。それを強要するのではなく、発信する人間になりたい、こういうわけだ。

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けれど、貪欲とは別に、同じベクトルで大事な言葉、概念が歩きもする。それすなわち「雑食」だ。例えていうなら、音楽だ。個人的に音楽に対して雑食である。それは無頓着というのではなく、積極的に色んな音楽のジャンルが好きだ、という意味である。雑食という言葉は往々にして「好き嫌いがない」という風に理解されることが多いのだけれど、私はここでそれを再定義したい。つまり、好き嫌いがないどころか、全部好きだということだ。

これを音楽に当てはめると、どうなるか。ジャズも楽しめて、ハードスタイルも聴けて、邦楽も洋楽も楽しめる。楽しみが増えるばかりだ。唯一駄目なところを挙げれば、財布の中身がどんどん減っていくということだ。好きな物が多いほうがもちろんよいと、全部を肯定する仕組みだ。

まぁ、もちろん全部が全部好きでいられるわけではない。だから好きでいられないものはないことにする。これも意外と簡単だ。直接的な接点がない限り、人生は驚くほどに自分に縁のないもので満ち溢れている。天気予報学だとか、下水だとか、カツラだとか。そういうものはだから今のところはさておき、好きな物を一個ずつ増やす努力をすればいい。

この方法ではさすがに嫌いな上司を失脚させることなんてできないけれど、自分の時間を自分のものとして成立させ、徐々にその区域を大きくすることはできる。自分のもの、親しみのあるものは暖かいわけだから、それが段々増えるというのは気持ちがいい。私はこれだから嫌いな物がないとまではいかないけれど、嫌いな物を減らし、好きなものを増やすことをしていたいと思う。

雑食であることはご都合主義に見えるかもしれないけれど、所詮人間同士の言葉の上の約束事にとらわれてはいけない。特にこと自分の人生に関しては、妥協していては負けているようなものだ。そして、人生は楽しんだ物がちだ。

しかし、それはまた別の時の話。