万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

不気味な話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

ご無沙汰しています、といいたいぐらいでもないけれど、この数ヶ月で始めて3日もあけてしまったのがかなり痛い。決して文章を書くことが嫌いになったわけではない、ただただ生活習慣の変化が著しいだけだ。ツイッターの呟きも減るし、なによりここ二ヶ月で本にかまける余裕が段々なくなってきている。しかしこの生活もあと二ヶ月でまたどんどん変わっていくことだろう。未来一寸先が闇、とはよくいったものだ。

闇で言えば人々にとって大抵は怖いものと意識されている。闇の中に何が潜んでいるか分からない、虫だとか幽霊だとか妖怪だとか。しかしこれらは私は怖いどころか、面白みを感じてしまう側の人間だ。それも勿論私だけではない。不気味な物こそ似魅力を感じる人間はいくらでもいる。幽霊映画、ゾンビー映画などの類が一番分かりやすい例だ。

それとはまた別に妖怪マニアがいる。勿論京極先生を呼んでいる以上私もそれなりにそっち側の人間だということになる。未だに買っていないが、石燕の図鑑が欲しいとは思うし、去年の神戸の怖い絵展、東京江戸博物館の一昨年の妖怪の蒔絵なども訪れているぐらいだ。不気味な物を見て、この世ならぬものと対面する。それは自然に対する畏怖と似て非なるものだ。なにせ自然に様々な物が実際いるのに対し、妖怪の類は勿論そこにはいない。いる場所はといえば人間の心の中だ。

そして日本はともかく、オカルトブームがすごかったらしい。オランダにそんなブームがいまだかつて訪れたことがないので良く分からないが、その波は今でも打ち寄せてきているようでアニメや小説に不覚その爪あとを残しているのだ。

そういえば、京都大学に在学していた頃、90年代ごろに目撃情報が続出していた「口裂け女」の都市伝説と人間の恐怖のあり方の変遷について論じていた中国人の外町が同じクラスにいた。そのころどっぷり京極先生に染まっていた私は始終彼女の論述を改良しようとあれこれ資料や説を提案していたのだけれど、それがどうも途中からありがた迷惑だったようで冷ややかな目線が増えたんだったな。あれこそ妖怪なんじゃないかな、と思う日もあった。

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そしてさらに先日からやっているゲームのHollow Knightもまた、不気味な物が一杯だ。なにせ虫たちが主人公のグロテスクファンタジー設定なのだから。しかも疫病が出てきたり、巨大な蜘蛛が大きな刀を持ったりして、コミック調であるのにもかかわらず鳥肌立つことも多い。しかしゲームだからこそ道を切り開き、成功していくのが自分なのだから、闇などおそるるにたらんものぞよ。

少なくとも、クリアできればの話なのだけれど。。。

しかし、それはまた別の時の話。