万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

ラブコメの話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

夏休み真っ最中、外は36度、中はそれ以上の灼熱地獄で、私は一人映画に耽る。というのも、きっかけは相変わらず本である。今回は台湾出身福岡育ちの東山彰良氏の「ラブコメの法則」なのだけれど、これがまた濃厚なもので一読ではなかなかその魅力を見出せないような、まさに古典映画のような味わいのある一冊だった。

ブコメの要素は何かと言えば、突き詰めれば「男」「女」「恋」「夢」の四文字に尽きる。これはおそらく現実でもそういえるだろう。夢と言えども、まあ夢か仕事かなのだろうけど、それでは字余りになってしまう。もっとも、恋に失敗すらあまりしていない私がいえたことではないのだけれど。そろそろまた失敗したい、いや、恋したいものだ。

男と女の繋がりというテーマだけで、何億何兆の物語が有史以来紡がれているのだろう。推理ものなら往々にして大真面目に取り扱われ、痴情の縺れだの浮気だの、隠し子だの並べ立てて動機ごと木に成り下がる。けれど私は推理は好きでも、WHYDUNNIT(つまり動機そのもの)にあまり興味が持てない。動機をせりふ一つでまとめるぐらいなら、人間の主体性などどこにもないじゃないか。どんなところで間違えるか分からないのが人間で、ラブコメのいいところだろう。

だからラブコメというのは時に深刻、時におどけて見せるのが効果的だと思う。恋におちそうになる男女の日常の掛け合いは決して事件に巻き込まれて、緊迫した状況に劣ったりはしない。組み合わさったものこそがラブコメなのだろう。変化と予定調和の輪廻転生こそが、ラブコメの醍醐味さ、ってね。

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だからこそ、私は「家族のカタチ」やら「最高の離婚」やら、忘れがたい「逃げ恥」などを好きになったんだと思う。それこそ、元恋人に紹介されて始めて見るようになったのだけれど、それさえも今は見る上でのスパイスに思える。苦しくない恋は恋にあらず、とまでは言えないかも知れないけど、これらの話の登場人物はみなそれなりに苦労し、煩悶し、おこっったり怒鳴ったり喚いたりして生きている。それこそが正しい恋の仕方と言わんばかりに。

片方で、勿論現実でも周りに色んな恋を見てきたが、遺憾ながら現実において自分の見れる範囲が限られて、中々全部の展開に眼が追いつかないわけだ。せいぜい一緒に喜んだり、嘆いたりすることだ。むべなるかな、だから「テラスハウス」などがあれだけ大好評を博するのだな、とぼんやり思ってしまう。テラスハウスはまだ話題に上げていないのが驚愕するぐらいこの2ヶ月見てきたから、また場を設けさせてもらおう。

とどのつまり、天邪鬼である自分がやはり子供の頃からラブコメというジャンルを見下していたように思う。しかし、これからいくらでも取り返しは付くはずだ。ラブコメも恋も。

しかし、それはまた別のときの話。