万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

「箱」の話をしよう

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生きていく上で、私たちは本当に様々な組織に属していく。国に学校、サークルや部活、会社、近所に家族、友達グループが割と長期なグループとして、旅行だとか、バスでとか、比較的に短い時間でも他人と同じ場所で過ごしていく。この箱には色んな名前が与えられる。世間だったり、社会だったり、バブルだったりする。物質的、精神的に時間を一緒に過ごす、共通認識だとか、社会通念だとかを前提にしたその枠組みを、私は好んで「箱」と呼んで入る。

人間ははさながら猫のように箱にいたがる。帰属意識といえば聞こえはいいけれど、本能理論の類は往々にして悪用されがちなのでそれが人間特有だとか、抗えないものかどうかの議論はこの際置いておく。ただ、実際我々はグループの一人となるとき、安心する傾向がある。あるいはそれは、個人的な責任を、グループの責任に自分に対して自己正当化できるからかもしれない。

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ただし、この「箱」理論は、聞く人によれば崩れつつある。人は今では「電子的な個室」だとか、「フィルター・バブル」の中に引きこもり、物質的に人と時間を過ごしていても、精神の方は携帯やパソコンを見て、自分にカスタマイズされた電子空間に集中を奪われ、自分自身の好きなものだけを見て、自分が好きな芸人や作家の言葉を聞き、自分らしいと思い込んでいる商品の広告を見て主体性なく消費する。

これはもちろん極論だけれど、現代社会にこういう側面があるのも否めないだろう。インスタグラムに於いて等身大以上の自分を投影させている知り合いは私たち誰もいるだろう。もしくは、周りからそういう風にみられているかもしれない。

ある意味、これはグロバリゼーションという、全くもって曖昧模糊な概念の一つの症状と言えよう。物理的な距離の意味合いが消えているということは、精神的な距離も近く感じてしまうと、私個人は思っている。一か月かけて船で隣の島まで行く昔のポリネシアは、今じゃ日本からひとっとび、半日もかからない。アメリカで流行っていたあのブランドが、輸入して手に入るどころか、銀座や原宿の支店で売られている。外と内の境界線があいまいになる、というのは私流のグロバリゼーションの定義だ。

この「物理的空間」が意味をなさないことのおかげで、今まで成立しえなかった箱が、いくらでもある。サブカルチャーなどはその性質上、普通であれば人から人へとしか広がらない。あまり他人に知られたくない、知られたら面倒だ、そういう意識が働いてしまう。ただ、インターネットのおかげで、ネット上だけでなく、物理的な空間での新たな箱も生まれてくる。掲示板というのは本来、同じ趣味同士の人が楽しくおしゃべりする目的で始められたものだろう。

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そしてもう一つ、簡単に手に入るものがニュースである。テレビやラジオも多きな一歩であったけれど、一番大きいステップは「検索」だろう。今現在読んで入る「モダンタイムズ」という小説にしきりに出てくるキーワード。「わからないことは、まず検索する」。これこそ、現代人の常識だろう。一億博士世代とでもいえよう、色んなものの情報が瞬時に手に入り、問題は「何を調べるか」よりも「どうやって、どの優先順位で調べる」になった。

現代生きる我々は今までよりもずっと、毎日日常的に色んな種類の情報を処理しながら生きている。国際事情や芸能人ニュース、クラスメートや会社のうわさ、取引先の経済状況や好きなブランドの名前とそれに付随する細かである意味自分以外に価値のないものを、毎日飽きもせずに咀嚼し、忘れたり覚えたりする。そりゃ疲れるわけだ。情報飽和もいいとこだ。

情報があまりにも多すぎるから、広告会社は丁寧にも個人に合わせた広告、テレビ局はテレビ番組を、メーカーはあなただけのコーヒやファッションブランドを提案してくる。そのせいで、我々の主体性が消えていく、という懸念はある意味当然である。だけど、現代人はこう見えてけっこうしぶとい。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。希望的観測かもしれないけれど、私はやっぱり皆がそれなりに取捨選択して生きていると主張したい。

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過去のどんな時代よりも、自己情報操作を強制されている。プライバシーということがそもそも問題になるのは、一般人が自分の持っている情報、他人が自分に対して持っている情報に価値があると気づいてからだ。

だから、人は自分の箱を慎重に選ぶべきなのだ。きちんとみればどんな情報でも手に入る時代だから、単に一番声のでかいやつ、一番上に立っているやつの提案を受けるんじゃなくて、自分で自分の属する箱を選んでいく。そうすれば「電子的な個室」なんかじゃなくて「電子的な草原」が広がっていることだろう。

しかし、それはまた別のときの話。