万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

山の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

日本に着いてから感慨深いものばかりで、正直どうなるだろうって思うこともあるのだ。今のところ達者でやっているけれど、浪費はしてしまっているから帰ってからのバイトなどが待っていることを思うと胸が苦しい。というのも、実際今使っている金の大部分が前の留学の奨学金であって日本政府から日本に戻っているだけのことであるから、そこまで自分の貯金を使っているわけではない。正しく、吝嗇なオランダ人である。

オランダ人は前回も言ったように、海と持ちつ持たれつの関係であるが、日本では往々にしてそれに相対して山を述べることが多い。しかし、実を述べるとオランダにほぼない。今いる函館も海抜はかなり低いのだけれど、火山活動のせいで函館山は峻々として町の上にそびえたつ。そんなオランダ人として山にはあこがれを抱かざるを得ない。夜景がきれいという理由で「函館」「神戸」「長崎」が日本第三夜景といわれるが、「新」日本第三夜景もあるようでそこに重点を置くわけにはいかない。どちらかというと私は登山が好きな方なのだ。

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函館山の夜景 + 中国人観光客の群れ

日本で言ったら、那智さん、鞍馬さん、高野山、そして札幌の藻岩山という、それなりに有名な山に登ってきた。明日もあわよくば函館山を登り、明後日には洞爺湖の昭和山山も見てみたいと思う。しかし、矛盾しているようで富士山は今でも目にしたことがない。私にとって山は「あるから登る」ものだから、さすがにそんな気持ちで富士山に登ろうとしていたら待っているのは哀れな死なのだろう。

山に登るのは日本人にとって一瞬の巡礼のようなもので、どこへ行っても「こんにちは」と快活な声で迎えられる。たまには年寄りの老夫婦、若いカップルや女性陣、子連れの親、サラリーマン風の男性など、だれでも登るときは一緒なのだ。だから、あんまり山を登っていても自分が外国から来たことを意識しなくて済む。山というものではそもそも皆が赤の他人で、それゆえの親近感がそこにある。藻岩山はしかしサンダルで上ってしまったせいで、とりあえず誰しもがいぶかしい目で見られて恥ずかしい思いをしたものだ。

日本人にはたまに「そこに山があるから登る」という人がいる。山岳信仰も長い歴史たどってきたし、霊峰多くてして山伏もいまだにひそひそと暮らしているだろう。しかし、それをかたっぱしから否定したがる日本人にもあってきた。山を登る快感、達成感を知らずに、観光バスで山の上まで行って髪を拝むの何が楽しいのか、私にはよく分からないのだが、その種の人もすか無からずいる。しかし、しいて言うなら私は頑張ってものを手に入れることを楽しめる人でありたいし、友達もそういう人と付き合って生きたい。写真を撮るのはとりあえず別にして。

しかし、それはまた別のときの話。