万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

ANOTHER STORY をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

さて、ずいぶんとご無沙汰しておる。あまりにも遠く感じられていて、果たして今の心境と三日前の心境を比べて同じ性格の持ち主と断定できるかどうかというぐらいに。まあ、そこはまた置いといて、最初に言うと感涙、感動、感謝、感極まる三日間だった。中国人の別荘地とも思える別荘地、洞爺湖から札幌の人ごみに戻り、瞬く間にYOSAKOIという世界観に引き込まれ、どうやら(今はそうなのだけれど)戻れなさそうなのだ。しかし、ここまでの経緯は色んな人の交流や努力、時間とお金が変わっているから、その努力を賞して(また、三日分のブログを盛り返すためにも)とことん語らせてもらおう。勿論私だけが作り上げたわけでは決してなく、だれか一人ができるものでもなかったわけだからこそ、できるだけ踊り子たちの名前を伏せておくことにしよう。

事の発端は五年前、曰く一人の男がよさこいを愛し、自分のものにしようとし、新しいチームの創立に当たって一つの楽曲と振り付けを作り上げた。この辺の事情半年前に直接かかわってきた私も当然疎いわけだが、これもおそらくいろんな人の力添えがあってのことだと思う。その楽曲が我々がこの二日間踊った「大妖~八岐九尾の天気雨」である。そして、そのチームが今年五年目を迎える、東京を中心とする「百物語」という。

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では、その「我々」とはだれなのだろう。これは実に七か国から作り上げた、国際合同チーム、その名も「ANOTHER STORY BY 百物語」である。ここの代表が事細かにその経緯を記しているおかげで細かいところを省き、読者の便宜を図って所謂「いいとこどり」をさせてもらう。百物語は東京都の社会人・学生・その他の有志を集めたよさこいチームで、なぜか多くの留学生もそこに交わることとなった。シンガポールフィンランドベトナム、フランスなど、何年前からその絆は確かにそこにあった。

しかし、百物語は東京のチームで完成度の高い演舞を作るも(実は、私も二年前から見させていただいているのだけれど)いまだに北海道ソーラン祭りに出ること能わずという状態だったのだ。そこで今回声が上がったようだ。「ベトナムにある雲よさこい、私たちの演舞をものすごくまじめにやってくれていて、いつか合同でなにかやりたい」「なら、あのフィンランド人もいるし、ヨーロッパにも色んなチームがあるからもっとできるんじゃない?」こうして雪だるま式に話が段々段々大きくなって、それを現実にする計画が着々と進められていた。

もっとも、私はそんなことを知りもせず、よさこいから一歩離れて、京都では落語をしており、9月にオランダに帰りまじめに学部生最後の一年に励んだ。そこである日、10月頃だろうか、ヨーロッパ内のよさこいチームの連絡網に、こんなメッセージが届いた。「北海道ソーラン祭りで、東京のチームと一緒に踊りませんか?」もちろん、よさこいをやっている上、こんな胸が躍る話はない。ましてや数年前から見ている、噂では美男美女多き「百物語」ならなおのこと。そこで12月の締め切りが近づき、私は一つの決心を着いた。6月1日までに学部生の全部を終わらせ、その日に日本へ行こうと。

これが叶ったから、今の私は言る。そう願ったから、今私はここにいる。これをぜひとも自分のために信じたいと思う。この上の自己肯定はないのだから。よさこいの意義は人さまざまであるが、私にとってはそう、自分が自分を肯定するための手段であると思う。そして、自分が自分であり、自分を肯定し、ほかのメンバーに肯定してもらい、肯定しあう仲に美しい何かがある。それを何とかして踊りにし、ひたすら躍り込んで、人前でパフォーマンスをするのがよさこいだと思う。だからだれにとってもそうであるとは限らないのだけれど、せめてそうさせてくれる人たち、その環境を作り続けている人たちに感謝をこめて踊りたい。それがせめてのお返しになるのだろうから。

しかし、それはまた別のときの話。