万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

東京人の話をしよう

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東京の街について二日。昨日は5時過ぎに宿につき、荷物整理してその足で東京駅に向かったものだから、とりあえず忙しい感じだった。去年オランダであった人とお好み焼き食べて、日本橋もそう遠くないから歩こうってなって、世間話をして別れる。こうしてみると日常的過ぎて笑ってしまう。その後は同時期に来日した妹らが池袋にいるからまた出かけて向こうで落ち合い、ゲーセンとカラオケやったりして終電に乗って帰った。旅行は基本非日常的なものなはずなのに、これなら京都に住んでいた時期との生活リズムもそう変わらないから混乱する。8

それはさておき、東京の話に戻ろう。東京はでかい。そして広い。それであって交通の便が非常に良いせいでどこへ行こうとしても30分でたいていの所はいけるし、その間は歩いていても目の保養はいくらでもあって、街角を観察しても活力があふれんばかりで見てて飽きない。そんなんだから、観光に来ているといっても、私は交通機関を利用して友達に合ったり、ただただそこらへんがおもしろいから行ってみたりすることも多い。もっとも、おおよそ観光客らしい行動は二年前に済ませているから今は自由のままにやっているわけだ。だから旅行だといっても、非日常ではない。ただ短く切られた、一週間限りの「トライアル版」の東京の日常なのだ。「一週間東京人になってみない」という経験企画、どこかの会社やっていないかな?残業経験とか、満員電車を身近で感じる、とか。ブラックなのは企業に限らず、だな。

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東京の街もさることながら、殊更面白いなのはそこに行き来する人達だ。東京の人は冷たいとよく言うが、これは残念ながら少し否定しがたい。否定しようと思っても実際東京人は忙しないというか、心に余裕がないというか、ドタバタしたり東奔西走したり、体が休んでいても精神はなかなか休めれないようにみえる。

今の自分の周りは年代にふさわしく就職活動に励むものも多いのだ。私も今朝は大学院の下見も兼ねて、明治大学で講義を聴講し、その後明治の友達の紹介で昼を食べる仲間ができた。これもやはり上の類いの就活に精神の大部分を占められている人間だ。東京の大学ともなれば一定のラインを越えているから「ある程度知られている会社に行きたい」という都会人らしい欲望も出てくる。地方の大学出ても「パナソニック受けてみよう」という発想はおそらくまずない。しかし、かといってこれらの大手会社はやはり学歴を見て偏見を押し通すところもいるようで、中の上ぐらいの大学はその欲を刺激されながらも実際達成しがたい目標にあがかされるような形になるから思い描いたらそれなりにむごいものだ。以前見た「何者」という映画が正にその状態を描き出しているような気がする。

そんな東京人だけれど、もうひとつ述べると東京のあらゆるものが大きくて量産的であまねくところにあるから、どうやら世界はそもそもそんな風にできている、という錯覚に陥がちなのだ。しかし23階建ての大学のビルがあって、その周辺にそれでも10階などの高さが同じキャンパス内に合って、それでも東京は狭いと言い張る人には驚く。オランダの大学なんざ、4階もないのに。これで世界規模とか笑えるかもね。規模というか、尺度が完全にずれているから、どう話していても話も自ずとズレてしまう。

これが案外、東京人が冷たい理由にもつながるかもしれない。東京に住み、東京に生きていあたら、その日常の常識が身に付き、いつのまにかそれが自分の常識であると気が付くだろう。それでも東京人は冷たいといえるのだろうか?

しかし、それはまた別のときの話。