万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

「休み」の話をしよう

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少し妙な心持ちだが、昼の投稿が昨日の分だとして、特に今今日の文を書いて悪いという理由はなさそうだ。ということなのだが、先述の通り今日は寝た時点ですでに空が白んでおり、起きた時点で昼を回っていて、いかにも「休日」という感じの一日だった。

以前に一回、休日を扱って書いた日があった。その時は「普段働いている分、休日はたまに取るべき」を力説したのだが、そうなってくると「休日」というのは「通常業務」と対比して初めて生まれる概念だ。働いていないのなら、いや、働いているということを認識していないのなら、休むこともできない。これが今の自分の心持ちというのをうまく表現してくれそうだ。

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もっとも、実際今はオランダ全体において夏休暇の時間だ。うちの親もあと一ヶ月弱経ったらイギリス旅行に行って休日を楽しむようだし、大学生や高校生は本より6月に入った時点でたいていの授業や試験が終わり、事実上夏休みなのだ。しかし、これはあくまで仕組み上に出来上がった休みであって、それでも毎日働いている人は世の中に五万といる。鉄道は走るのをやめたりはしないし、銀行も機能停止になることもない。政府もテレビ局も活動をやめることがあっては、皆混乱するばかりだろう。

だから、自分が今違和感を覚えているのは何かといえば、大学生まで当たり前とされた「予め決められた休み」というものが大学生でなくなった時、突然ない状態に対してなのだ。逆に言えば今は休みたいときに休めばいいし、働きたいときに働けばいい。それがフリーターというものの特権であって、最大の不安な点でもある。

基本は大学卒業して仕事に就くか、または仕事を探すかのどちらが王道で、どちらにしても明白な生活リズムはあるわけだけど、フリーターにこれはない。要は自分が生きていくだけの金、もしくは食事さえ手に入れればいいわけだが、人間は生活リズムという物が案外大切らしい。

今現在「大学院」という大きな目標があるわけだが、じゃそれが決まるまで「休み」というわけにも行かぬ。特に精神的な面においてそれは無理があるから、人間はやることを探すわけだ。人生、日常の基盤、背骨となる何かがないと、何のために頑張れば良いのか分からなくなる。存在意義まで引っ張り出さなくとも、一日何をしてもいい、といわれても困るのが人間なのだ。

いうなれば、縛られてこそが人間なのだ。束縛されたくない、縛られたくないという人はいるのだが、自由であることが何よりの束縛だとこういうときは思ってしまう。目前の目標としては資格の獲得、車の免許やプログラミング、バイトをそつなくこなす事が先決だろう。よく働いて、よく食べて飲んで、よく休む。それがおそらく私の理想の生き方なのだろう。誰に似たんだか。

しかし、それはまた別のときの話。