万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

改造ゲームの話をしよう

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今日一日過ごしていて、溜まっていたいろんなものがいつの間にか発散できた心地になった。ここをそこまで個人的な話をするのは趣旨が少々異なるようで控えるとするが、意外な方面から救いが来ることもある、ということにしておこう。最近手にした「空中ブランコ」なる小説が少なからず、心をすっと軽くさせるものがあるし、思わぬよい出会いや再会にも恵まれて機嫌がよい。

ところで話は変わるが、最近漸く手をかけるようにしたものがある。それは即ちプログラミングだ。言語学習者としていずれはプログラミング全体といわずとも、機械言語を見るようになるのは必然なのだろう。実際やってみると、漠然としながらも言語としての輪郭も見えてきて、昔遊んでいたゲームの(初歩の初歩ではあるが)仕組みが見えてくる錯覚に陥る。それはさすがにおこがましいというものだけれど、記憶を喚起させるには十分だった。

中学生の頃を思い返してみると、私は典型的なナードだったといえよう。外で遊ぶよりパソコンのスクリーンとにらめっこし、実況動画を見たりゲームをやったりしていたのだ。いつごろからそういう動画を見ていたのかも、具体的なきっかけも正直覚えていない。小学生の終わりごろにネット住民権を所有していたのは確かだが、ゲームに興味がありそうな友達も少ない時期では迷い込んだとしか言えない。

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実際何を見ていたかというと、いわゆる「改造マリオ」系が多かった。知らない人の便宜を図って言うと、スーパーファミコンのマリオのデータをパソコンで遊べる形態にし、またそれをベースに改造することなのだ。何年前にSuper Mario Makerなんていう物が出てきたのだが、要はあれの十年ほど前の海賊版である。

細かいことは当時は勿論、今もよく分からないが、主にEmulatorというプログラムがパソコン内にファミコンの性能を模倣し、Editorというプログラムがそれを書き換えるものに当たる。しかし、これらのプログラムはそのままプログラミングの知識なしでも使えたから、あるいっそうのネット住民に広まり、実況動画ブームに乗ってネット中に広まった。難しいことを色々行っているようだが、そういうネット歴史の一ページがあった、という認識でおそらく間違いない。

実況動画は勿論、自分で他人の作ったものをプレイしたり、Editorを使って改造マリオなどを作ってみたりするのはパソコン系少年にとって夢に溢れた話だ。マリオ以外にもメトロイドの改造版や、先日のべたレトロゲームを意識したKnytt StoriesなどもEditorが存在しており、それを通じて掲示板上の交流したりしたものだ。思い返してみると、なぜやめてしまったのだろう、と惜しむように考えるほどに楽しい思い出たちだ。

しかし、よく考えてみると、プログラムである上、だれかが書いていたに違いない。改造マリオの起源は日本にあるようだが、当時日本のことをそこまで知ろうとしなかった私にとって「誰が作ったのか」という質問にはそこまで興味を持てなかった。今となって「あの時のあの人は実際どういう生活したんだろう」と思うことがたまにある。

プログラムの向こうにも、誰かがいる。作った人間がいる。ということは、自分でもプログラムは作れるはずだ。その思いが、プログラミングをやる上で大切な教訓に思えてならない。

しかし、それはまた別のときの話。