万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

ラジオの話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

現代人って、ラジオ聞くものだろうか?なんとなく、恐怖とそんな疑問が湧いてきた。去年今邑綾先生の「少女Aの殺人」を読んでいたときも、もはやラジオはレトロになってきた気分になって、少し悲しくなった。

今頃ラジオの話をしたくなったきっかけは、先日までオランダに留学していた東京大学の友人が、渋谷のローカル局で自分の波乱万丈な留学経験(本人の談)を語ると言うことだったのだ。ちなみにその番組をききたかったにも関わらず、ネットの中継がなく、アプリは日本でしか使えず、とうとう聞きそびれてしまったのだけれど...

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そんな出来事があったのが昨日で、なんとなく「ラジオ」という単語が引っかかっていたものだ。そうだ、そういえば小学校高学年、中学校の頃、めちゃくちゃラジオに嵌っていた時期があったんだ、と思い出したのが今日昼ごはんを作っている最中だった。

その頃はと言えば、私は周りと全く一緒で、今は言うのも歯がゆいが、ハボ・ホテルと言うネットゲームに嵌っていたころでもあった。これもまあ、どれほど日本で流行っていたのかは知らないけれど、少なくとも私が小学校5年、6年生だった頃は逸れはもう大人気で、みんながみんなアバターを作ってやっていた。今から思えば何にそんなにはしゃいでいたことか。

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そのハボホテルなんだけれど、当時そのコミュニティ内(学校ではなく、ネット内の話だが)にネットでラジオを配信していた中学生・高校生の集まりがあったのだ。何せ小学校の話だから、誰に紹介されて知ったのかすら覚えていない。

毎日午後4時から夜の8時まで配信し、ハボホテル内でラジオを聴いている人たちが集まって喋ったりする、ただただそれだけだったのに、聞くだけでうきうきが止まらず、少し年上なだけなのに、みな随分大人びて聞こえて、「ネット上の先輩」という感覚だった。気づいたら、私は毎日その人たちの番組を心待ちにしていた。

総勢15人ぐらいのDJが一時間ずつ配信して、聴者のリクエストや質問などに答え、語ったりしていた。次第に好きな番組ができたりした。時に金曜日位置の番組がもう「週末だー、わーい」という感じで、聴いていてすごい暖かい気持ちだった。

その対極として、DJの女性の一人が一酸化炭素の事故で自宅でなくなった、とその友人がラジオを通じて述べたとき、それはもうわが事のようにないたりしていた。その時そのDJを偲ぶためにかかっていたSpice Girlsの「Goodbye Forever」はまったくもって趣味とは合わないけれど、おそらく一生忘れることもないだろう。

思えば、私は小学校や中学校にあまりいい思い出がない。特別いじめられたと言うこともないが、どこか溶け込めず、人との感覚を図れずにいて、その代わり人とのつながりをネット上、またはラジオを通じて探していたと思う。大人になってメディアが情報社会に迸るように急増し、とんと聞かなくなっているのだけれど、たまにこうやって昔の記憶が甦って聴きたくなる。海外でも聞ける面白いトーク番組があれば是非紹介して欲しいくらいだ。

しかし、それはまた別のときの話だ。