万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

オタクの話をしよう

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日本学科に入るかなり前から日本語を独学していたり、オランダ内のアニメコンベンションなどに参加したりしていたので、勿論結構早くから「オタク」という言葉は知るようになった。英語だけではなく、オランダ語掲示板においてもおそらく日本人からしてはオタクと目されるだろう人たちが集まっていた。

勿論、その頃の私も、今の私も少なからずアニメを見たり、漫画を読んだりしていたものだから、オタクと呼ばれるのも当然。しかし言葉の浸透性は国や世間様々で、アメリカではその時期ではすでにオタク層ができて、一般の本屋でも商売にもなっていたころに、オランダはやはりマイナーな(といっても、3日で1万人を迎えることはあったとしても一般社会からしてマイナーだけれど)ものだった。

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18歳のときに私は高校を卒業し、大学の入学前の夏休み3週間家族旅行でアメリカに行ったことがある。ロス・アンゼレスなどは日本人がそれなりに住んでいて、紀伊国屋まで出店していたのは驚いていたが、さらに驚いていたのがアメリカの第1大型本屋であるBarnes and Noblesでの漫画の量だった。それこそ、翻訳された漫画がずらっと並べてある算段の本棚が3メートルほど続いていた。フランスでは漫画がスーパーなどで販売されており、パリには数年前からブックオフがすでに三店舗を出店しており、気がつけば本屋と言う空間の一部と化している。

その前に若者数人が「あぁ、これ前に飼ったけど面白かった」「それならこれもいいぞ」「これはちょっとあれだったなぁ」と、あたかも日常茶飯事のように漫画談義に花を咲かせていた。そうか、アメリカでは漫画好きはこうまで普通のことになっているのだ、と感慨深く思った。

この人たちは、これが日本だったらそのころおそらくオタクと呼ばれていたのだろう。こういう名称は基本的に普遍的な意味ではなく、その時代の社会によって作り出されたものだけれど、アメリカで漫画の出版の大手Vertical Publishingは2001年、Dark Horse Comicsなどは早いもので1987年に漫画の翻訳出版を手がけはじめる。

このころはまさしく日本のメディアが「引きこもり」なる現象を騒ぎ立てた90年代とその末路にあたり、それと関連して考えられた「オタク」は、様々な事件の影響で少なからず悪印象をもたれていた。

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日本ではそのような存在だったのだけれど、ヨーロッパではすでにコミックス文化が盛んで、そのおかげか漫画は結果から言えばすんなりと受入れられた。不思議がられることはあっても、今ではアメリカやフランス高校生が本屋で買った漫画を読んで、Netflixでアニメを見て、日本の娯楽が世界中に楽しまれている。

日本といえども、勿論現代ではオタクがそう差別されることもなく、男性女性問わず漫画・アニメ・モバイルゲームなどのメディアを通じてかつてはオタクと区切りをされていた部類の娯楽を楽しんでいる。勿論、マイナーなものはマイナーのままだけれど。。

これもCool Japan政策のおかげかとも言えるだろうけれど、どちらかというとそれはほとんどきっかけに過ぎず、西洋東洋を問わず敏腕な経営者や出版社がうまいこと売りつけた結果だと思う。その事例があるわけだから、私も「日本・西洋の出版業界の開放」という大きな目標への熱意が湧くという物だ。

しかし、それはまた別のときの話。