万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

コロナの話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ、

世の中には、様々な問題が毎日起きている。今回の新型コロナウィリスのこの状況、それがよくわかってきた。ウィルスが起こったというだけで、こんなにも世の中変わるものだなぁ、と思うと同時に、その所為かお陰か、見えてくる問題点も山のように積る。

もちろん自分でそれに単独で気づく、というよりはツイッターやらニュースやらで言われてはじめて気づくものも多いが、友人から聞いた話で「おや」と思うものも何件かあった。そこで今日はウィルス自体が心底イヤになったから、この状況が生んでくれた(再浮上させてくれた)色んな問題点を論っていこう、と思うようになった。

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勿論、その中でも最優先的なものはといえば、「世界各国の政府制度の違い」というところなのだろう。中国の半独裁主義(半は無用という人もいるだろうが)はもちろん、ヨーロッパ内でも同じ状況に対してこんなにも対応が違うのか、とびっくりすることになった。今日はその点から、ここ一か月を振り返っていこう。

まず私の最近の動向をまとめると、先月の初めにオランダまで行き、中旬に数日スウェーデンの妹の下宿先に居候して、オランダに戻って一週間過ごしてから日本に戻った。この二週間弱の間、かなり世界がひっくり返った、と言っていいほど状況が変わった。そう思うと同時に、あの時はまだそんなひどくはなかったと、今では思う。

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この間、私は日本からオランダ、スウェーデン、そして帰りの乗り換えがデンマークという、四つの国にいたわけだけれど、そのいずれも対応が全く違っている。初めに国民以外に国境を閉じたのがデンマークで、そのせいで私は空港から出れずにホテルも取ることが出来なくて、20時間ほどコペンハーゲン空港で過ごす羽目になった。後から見ればどうってことはないけれど、あの時(二週間前が昔のようだが)はかなり親や自分自身の不安をも押し切って決断したのだ。

デンマークがその処置をとったのが、3月20日ごろ。ウィルスが発生した中国の隣国がそうしたのが、つい先日。スウェーデンとオランダもその間らへんに観光客に対して閉まっていった。ヨーロッパ全土も閉まり、私が使ったSASやKLMなどの航空会社が危機を受け社員の90%ほどをも解雇したのも、この時期。ちなみに、21日の前に日本に入国したため、検査はおろか、そもそもコロナという文字も、成田空港では見当たらなかった。この差に、私はひたすらたまげたとしか言いようがない。

けれど、日本と中国が隣国というのなら、陸でつながっているデンマークスウェーデンもまさにそうだ。その割には、ほとんど完全にロックダウンしているデンマークのに対して、スウェーデンはヨーロッパ最後の砦とでもいうように外食がまだ許され、事実上ロックダウンしていない国である。向こうに残った妹の伝だと、国民の一定数ははそれを疑おうとしない。人口のわりに面積が広い北欧だから生まれた状況かもしれない。

かくいう私は、オランダで「外食店閉店命令」を聞いたのは、日本人の友達と空港に向かう電車の中だった。彼女がオランダに来た夜、美術館閉館命令が出てオランダにいる間も間の抜けたものになったが、後から思えばまだマシな方だった。スウェーデン同様、日本も長い間外食の取り締まりをやってこなかった。

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これらの違いって、どこから生じているのだろうか?小池知事が「ロックダウンができない」という発言をしたのかしていないのかという議論もなされる中、日本を筆頭に、世界各国がまさかこんな状況になることを予想していなくて、そのため法整備の面でも全く不備というしかない状況になっている印象を受けてしまう。

集団の自由を侵害するから、ロックダウンはできない。法律的には感染した人全員を入院させなければならないから、検査を控えめにしか行わない。埃をかぶっていた法律が、誰もが当たり前と思っていた法整備が問われるのも、考えようによっては当たり前かもしれない。

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法律とは、常に後発なものである。犯罪が起こってから、何が罪で、どれほどの罰が相応か、を考えるに至る。この新型肺炎という状況も、全く新しいからこそ、今までの法律ではまず対処しきれない出来事が起こる日常だ。その点からいえば、いくぶんは愚策が出てくるのも当たり前じゃないだろうか。

医療の現場はもちろんだけれど、人権を損なわない人道的なやり方で、感染者を抑え、且つ収束後に経済的活動を損なわないようにする、ということはまずで以て無理が多すぎるのだ。政治家が今直面しているのは、そういうことである。

その状況を理解しているとはとても言えないが、その輪郭が見えただけでも空恐ろしくなり、ただただ必死に一所懸命にやってほしいと思う今日この頃である。ただ、各国の対応がずれているのに対し、ウィルスは一律である。むしろウィリスをつかさどるルールが簡単であればあるほど、感染者が増えるのだろう。

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先日からアメリカの新聞などでも投稿しているハラリ先生の言だが、人間を人間たらしめているのは「協力できること」なのである。バラバラのルールで、国際化になったバラバラのアイデンティティーでは、到底全勝は求めない。僅勝(という言葉がないなら造語ということで)がせいぜいである。人類の敵ともなりえるウィルスが、そのように全く見られていない、という状況が問題である。

政治家に一生懸命頑張ってほしいのはもちろんのこと、「なんのため」「誰がため」に頑張るのか忘れないでほしい。その答えが「日本人」なら、恐らく貴方とは分かり合えないだろう。そんなスケールの話ではない、と私は思ってしまう。日本が、とか、ヨーロッパが、とかを言っている場合ではない、とたまには叫びたくなる。その叫びが、こんな風にたまには文章を書く原動力となるのが、せめてもの救いだろう。

しかし、それはまた別のときの話。