万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

英語の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

夏休みといえば遊び!夏の遊びと言えば水!ってなわけで友達を実家に招待して地元のプールへ行ってからの、朝まで及ぶ飲み会とその残骸の後始末をしたら、今日の16時になっていた。ブログに寄稿できるはずもない。夜になってもどうやら気分が優れず、八月のイベントの準備、あさってに控えたロンドン旅行が心配になりつつも、とりあえずブログを書いてみることにした。心が落ち着き事と願いをこめて。

上の友達七人は全員オランダのよさこい仲間だけれど、そのうちの一人が私が留学している最中に入部したスペイン人(28歳)の男の人で、踊りの方では勿論後輩なのだけれど、顔など見て到底後輩とは言いづらい。そんな彼が留学でユートレヒト市で勉強しており、少しずつオランダ語も獲得しているのだけれど、やはり英語が主な共通言語だ。

だから勿論、彼が会話に加わると、みなもさすがに空気を呼んで分かりやすいオランダ語か、とりあえず英語で答えるようにしている。近年浮上してきた話だと思うけれど、オランダは英検以外の英語力が(TOEFLなどの結果上の話では)トップクラスで、まぁ大学は言っているということはある程度英語も読み書きできると言うのが前提条件だろう。なぜなら日本学科でも、講義の半分ぐらいが英語で行われているからだ。

私もそんな環境で生活していて、さらに高校から友達で英語でゲームの話をできる相手も何人かいたわけだから、大学の初めの二年間は、英語をそのままいつも使っていて論文も書いたりして英語力健在だった。それが長崎に行ってから英語をすっかり使わない環境にどっぷり漬かってしまった。

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長崎ではとうとう半年慣習に何回英語使ったらいいほうになってしまったので、京都についてしばらくすると英語力の低下を懸念して、京都の社会人の英会話団体に入って、英会話+のみ仲間と言う一石二鳥なコンビネーションを手に入れた。さらにその団体の団員一人が「大阪でも同じようなことやってるけど、参加しない?」って言われて、最初小規模な物かと思ったら大阪駅前の高層ビルで30人で集まったりしているときはさすがに驚いた。

日本人と接して面白いと思った所の一つはつまり、英語で話しているときと日本語を話しているときの性格の差だ。それこそ、私が二年前の弁論大会で挙げたテーマなわけだから驚くのもおかしな話だ。言語に沿って自分の人との接し方・向き合い方が生まれ、日本語・英語・オランダ語とは、「文化的」という言い方は語弊もあるのだけれど、他の言語より表現しやすい気持ちや物はある。単語レベルでも、敬語というテーマにしても、言語そのものの性格があるともいえよう。

だから、英語を忘れてはいけないと自分では思う。英語を話さなくなると言うことは、つまり自分の表現できる幅が段々小さくなっていくことなのだから、これは急務だろう。言語同士のTransferという、一つの言語でしか使わない表現の仕方が他の言語にそのまま転送されるのも、その幅が広がっている証拠だ。それが分かりやすいか同化は別として、多様性が増えるのは悪いことではなかろう。

しかし、それはまた別のときの話。