万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

ヨーロッパの話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

最後の投稿からもはや4日。書かないとあっという間に書かなくなる、ということだろうね。余裕がなくなれば必要のないもの、すくなくとも精神的な意味での必要のないもの、が先に消えるようだ。食欲も結局物理が精神に直で影響を及ぼしているだけのものだから、とどのつまりは精神なのだ。

と言った具合で、ロンドンへ行ったからと言って、いきなり豁然大悟したわけではない。したわけではないけれお、先週かけなかったものを今はかける気がする。文章を書く人間として、これは確固たる進歩と言っていいと思う。

ロンドンの話に入る前に、まず全体的にヨーロッパと言うテーマをあげたい。というのも、今までの自分は本当に、ヨーロッパに対して無関心もいいところだった。いや、多分今もそうだけれど、無関心から少し方向転換はしてきている。ヨーロッパという物の大きさ、多様性、危うさ、そして自分がそれらに対して以下に鞭であるかを思い知らされた週末になった。

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そもそもなぜロンドンなのだろう。今週末歩いてみて漸く思い出したのだが、ロンドンを以前に訪れたのはちょうど、北京オリンピックの頃だった。ということは、わりとどんぴしゃで十年前になるのだろう。その時は色んな博物館や美術館を見たのだけれど、なんせ12歳の子供だから印象に残るのはせいぜいエジプトやアッシリアの彫刻ぐらい。
当時は郊外に宿を取っていたこともあって、ロンドンという町を身にしみて知ったのが今回が最初だった。

そこでまた聞きたくなる。なぜロンドンなのだ。きっかけは馬鹿正直に言うと気になっていた女性が夏の間にそこにいるということで、遊びに以降という単純な理由だけど、ここ一年デートらしいデートもしていないのに、いきなり外国まで行ってだれかと出かけようと思った自分の思考がなぞれない。後付として日本で3年過ごすならヨーロッパに行くなら今と言う、苦しい言い訳しかないだろう。

けれど、ロンドンは私の期待を凌駕し、危惧していたことも凌駕し、所詮私が今まで知ったヨーロッパはほんの一部であることを実感せざるを得なかった。ロンドン人の生活は私の生活に似て非なるもので、Uncanny Valley(不気味な谷現象)のようでなじめないものがあった。似ているのに、圧倒的に違う。しゃべり方も、人との向き合い方も、生活習慣も違う。日本に住んでいて外国生活はどこでもできるだろう、と高をくくっていた自分が恥ずかしいぐらいに緊張する。頭に乗るな、と頭の中に問いかけそうになる。

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けれど、それでいいのだ。本でしか知りえないものがあると同時に、人、さしずめ統治の日としゃべってみないと分からないことが山ほどある。観光地は自分が思ったより乱雑でごみごみしていて、そして美しい場所であると知って、また一つ賢くなった気がする。次はやっぱり東南アジアだろうな。

しかし、それはまた別のときの話。