万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

日蘭関係の話をしよう

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オランダ人として日本に来ると、どうやら世代によって偏見は決まってくるようだ。いや、世代にとどまらず、その人が持つ偏見に、その人の性格が見出せるのではないかと思うぐらい、オランダ人に対する偏見(悪くも良くも)に傾向がある。若者は教育、英語、ワークライフバランス。少し上の人たちは干拓だとか、野菜栽培や自然な電気の創造などビジネス面でのオランダを見がちだ。そして、ご老体どもは、出島を思い出す。

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日本人ならだれしも一回ぐらい、あの扇形の島を教科書で見ているのだろう。今はもうすっかり陸に挟まれ、路面電車もその路肩を走り、およそ昔とは大違いだ。さしずめ堅牢な刑務所が陸に囲まれて逆に開かれた、という所だろう。そこに住んでいたオランダ人にとってはどんなに窮屈だったか。もっとも、熱帯病にさいなまれるインドネシアよりはすごしやすいだろうが。最前、川原慶賀による出島を描いた屏風が発見されたが、その時代の風景がよく伝わってくる。

けれど、日蘭関係はけっして出島にとどまらない。江戸への謁見、1600年代の平戸での貿易もしかることだが、勿論密貿易なども盛んに行われいたのだろう。1800年代からは幕府も問う活力を失い、薩摩藩などは色んなものや技術を取り入れ、イギリスとの戦いにも応用した。いわゆる薩英戦争だ。名前を諳んじればおかしな響きだが、これも立派な日本史だ。

2年余り前、私は鹿児島を始めて訪れた。きっかけは何を隠そうよさこいだったが、当時開催されるはずだった舞台が熊本震災の前であっけなく崩れてしまった。無論、これは比喩だが、オランダのライデンよさこいというチームにとって、これは初の日本進出に成るはずだったから、挫折はそれなりに大きかった。祭りは延期が決まったが、オランダ側の予定がつかず、結局私ともう一人長崎に留学していた親友が二人でオランダを代表して鹿児島を訪問することになった。

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あれは確か5月の頃だった。カゴメ号に揺られ、新鳥栖からピカピカの新幹線に乗り換え、鹿児島駅前。大ハンやよさこい祭りの実行委員長を務めていた鹿児島商工会議所の河合さんは我々を暖かく出迎えた。それだけではなく、鹿児島とオランダの架け橋をもう一度ということで、鹿児島市内によさこいを踊っていた大学生・社会人との交流の場を設けてくれた。事前に長崎であった折、ポンとコーヒー店のテーブルに置かれた島津歴代藩長に関する資料を、今もどこか家においてあるのだろうか?あの祭りの余韻は未だに消えず、鹿児島という町で私の再来を待っている気がする。また出るのは、何年後なのだろうね。

とにかく、日蘭関係も一筋縄ではいくまいと、その時思い知った。日本史が専門ではないのでたいしたことは言えないのだけれど、本を読めば読むほど濃密な時代風景が思い浮かべそうだ。そんなことを思いながら、島田荘司の「写楽」とDavid Mitchellの「The Thousand Autumns of Jacob de Zoet」をあわせて読むと、新しい発見はあるのだろうか?そもそも、この本が日本で知られているのだろうか?

しかし、それはまた別のときの話。