万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

地図の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

本好きの中にもいろんな種類がある。本を読んで現実逃避したい人、本を通じて普段めぐり合うことのない世界を見たい人、人の想像力の結晶がただただ面白い人、自分の人生に役立てそうな情報や技術を探訪する人。本を読む人の数、その気持ちがある。
私自身も色んな理由で本を読むが、最近気付いた理由が一つある。

それを言葉にしようとすれば「国の地理が知るようになるから」である。旅行好きなら地図を見ていく場所を決める人間もいると思うけれど、これはむしろ少人数だろう。
地図だけ、地図そのものを好きになる人は少ないだろう。だけど、それでも私は地図が好きであると言いたい。ただ、その理由が複合的であるだけ。

私は外国に幼い頃から少なくとも関心を持っていた。両親が海外旅行に連れてくれることが結構多かったのだけど、最初のころそれは親任せの旅行で「ここ行ってみたい」などという能動的な旅行者ではなかった。けどいつの頃からか、私は新しい旅行先を自分から探すようになった。特に京都にいたころ行った旅行がそれの原型なのだろう。

そうなってくると、旅行ガイドを見て、決めるのが一番手っ取り早い。旅行で「ここに行きたい」と思うようになったのは去年か一昨年だけれど、実際パリで行く予定の場所への道のり、サイクリングのときの地図を見て道案内をするのは12歳のころから私は好きだった。特にパリの地下鉄とかは親が戸惑う中、さっと正しい方を指す自分に酔っていった。

f:id:yorozuyawakarando:20180824033453p:plain

そんな子供が自分から旅行に行こうとなると、地図を後生大事にするのは特別おかしなことはないだろう。最近ではAtlas ObscuraやTabelog、Gaijinpotなどのウェブサイトも使うようになったが、基本はグーグルマップスを見て「こういう場所もあるか、面白そう」というパターンだ。そして気付けばグーグルマップすに矢印がゴミのように。。

そしてそれと同時に、小説と地図を結びついてしまった。推理小説の地図だけではない。行き着くところのは図だけど、最初はただただ小説を読んでいるだけなのだ。つまり、小説を読んで地名が出るとして、それがどこなのか、自分の知っているところからどうやって行くのか、こうやって調べることになる。そうやって、言ったこともない東京の町並み、少なくとも駅名やその配置をある程度知った上で私は初東京を果たした。

日本には伊藤忠孝という有名な地図職人がかつてはいた。オランダもブラウ一家の地図帳、ベルギーにはメルカトルの地図帳がある。元々地図が特別好きでもなかった私は、こうやって地図という物を愛用するようになった。新しい趣味とどこで出会えるのか、分からないものだ。

しかし、それはまた別のときの話。