南北線ライフの話をしよう
ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!
自分でも思っているより、ほめられると伸びるタイプかもしれない、って思いながら今日もとりあえず書いてみることにした。応援してるよ、って言ってくれる人がいて、その人が純粋に自分からそうしてくれることを思うと、歯痒くて逆にうまく礼の言葉も出てこない。でもやはりうれしいのだ。
昨日人生設計の話をしてみたら今日の午後の講義でまさにその話題が上がり、現代人のライフスタイル、昭和以降の日本人の生活習慣や予算分配の変化などを聞かされ、妙な具合と成り行きで承認欲が満たされてしまった。日本人のライフスタイルや行動原理、というものがあるのなら、それは日本で仕事やっていく上で絶対ためになるから、そういう情報には耳をそばだてていきたい。
しかしさすがに舞いにガチ理論な話をするのはあれで、それだけが自分の生活と言われたらそれは絶対違う。真面目に今後のことを考えることもあれば、悠々自適と朝十時に起き、東京をぶらぶらしながら大学に向かい、三限から講義を受ける、それこそ今日みたいな日もある。むしろそっちの方が多いのだろう。
少し話を前後して、今自分が住んでいる町、王子の話をしよう。4月の初めは多くの花見客が集まる飛鳥山公園がある場所で、その中には最近再び一躍有名人になった渋沢栄一の旧宅跡と記念館もある。少し歩けば日本庭園の風情を漂わせる名主の滝公園、一駅先の西ヶ原まで行けば旧古川庭園があり、また一駅行けば駒込の六義園に着く。考えてみれば南北線は公園沿いの駅が多い気もする。
そうやって書いてみると、いかにも現代雑誌風と分かると思う。これで後はお勧めの屋台や和菓子屋さん、定食や、居酒屋やバーなどを載せていったらますますそういう雰囲気を帯びてしまう。そういうことができたから、今度東京に住もうと思ったとそこで思い至る。今住んでいるシェアハウスがまさに線路沿いで、電車好きな私でも驚くぐらいの数の電車が今この瞬間もたった数めとる横に猛スピードで走り、部屋そのものを揺らす。しかし、それに慣れることも存外、時間のかからないものだ。なれれば愛嬌、だ。
日本人、特に東京で育った人や、そこで一人暮らしする人に関してみれば、こういう考え方がむしろ当たり前かもしれないけど、東京の生活の基本は線路沿いに尽きる。大学でできた友達と御飯に行って、分かれる時必ず「皆、何線で帰る」という感じの会話が自然と生まれるのがこの東京というところだ。
日本は他国に比べて仕事に束縛されがちだし、仕事場まで電車で行く人がほとんどだろうから、否が応でも生活の中心がそこに集中してしまう。いくら近くとも、仕事で疲れた人間がわざわざ別の線の駅までご飯を食べに行くことは珍しいだろう。少なくとも、週内は無難に済ませ、週末は非日常を味わいに普段使わない線で普段いかない場所で普段食べない場所をする人が結構いるはずだ。
それで私もそれに倣って、今現在は南北線ライフを満喫している。北は赤羽、南は目黒、目黒線で行けば横浜まで一本で行けるし、その間には後楽園、四谷、六本木などの東京の中でも代名詞である町名が並ぶ。着いた一週間目は時間も余裕があってそれなりに六本木のTSUTAYAとしゃれた店に言ったりしたけど、今はもう四谷と王子の往復になってしまった。
それでも、今日みたいに線路沿いで東大前まででかけ、根津神社のツツジを撮り、そこからゆっくりと大学に向かっても全然焦りはないから、結構この南北線ライフを気に入っている。線路というのはイメージの通り、一つのライフラインであって、赤い糸であって、アリアドネの糸でもある。南北線まで行けば帰れる、とさえわかればいくら酔っぱらっても帰れる。これは東京みたいな大都市の特性で、好きなところだと思う。
あぁ、でも考えてみれば京浜東北線も大分お世話になっているし、週末はむしろそちらの方を利用しているかもしれない。これは盲点だった。今度は景品で川崎まで行って、また週末編を書かせてもらおう。
しかし、それはまた別のときの話。