万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

服の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

最初に行っておくと、私はけっしてファッションに明るいわけではない。もちろん美的な鑑賞物としては面白いと思うし、服が持っている様々な社会的役割は興味深かったりするけど、自分の服に関してはかなり無頓着だ。越してきてからまだアイロンすら買っていないし、箪笥の状態も大分ひどい。まぁでももちろん着ないわけにはいかない。

だけど、なぜか新しい服を買うと、来たくなるのはなぜだろう、って今日久しぶりに服を買ってみて思ったのだ。そこで素人ながらも、自分の行動の心理分析をしてみたいと思う。

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まず前提として、人間はいつも正しくあろうとする。正しいというのはこの場合、矛盾した態度がない、安定した精神状態である。自分が今まで取ってきた状態、とろうと思う行動が一貫していて、自分自身に対して正当化できる。これができない場合、つまり自分の行動と態度が、もしくは相反する態度同氏はぶつかったとき、いわゆる「認知的不協和」を起こす。これぐらいは、そこら辺の心理学入門書を読めばわかる。

その状態に陥れば、人は悩み、精神的に不安定になり、なるべく穏当な方法でその矛盾を解決しようとする。例えば、「酒が好き」と「酒を飲めば脳細胞が死ぬ」という二つの態度、いわば信念がぶつかれば、それを片方曲げなければ安定を取り戻せない。だから、結果的には酒を飲まなくなったりするか、後者の信念に対抗できる事実を動員する。例えば「酒を通じて友達ができて、将来につながる」。多分、自分の知らないうちに、自分の無意識にこういう小さな不協和が起きて、時折浮上したりしているはずだ。

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で、服の話はどうした、と君は言うんだろうね。その話に戻る前に、もう一つ心理学的な考え方を説明したいのだけれど、また難しい言葉ばかり使って「原因帰属」というのだ。つまり、自分はなぜこう思ったのだ、なぜこういう態度を持っているのか、そういう自省的な感じのものである。もちろん自分の考えだから、人間はあくまで自分の意見や態度の決定権と主導権を自分だと信じたがる。

この原因帰属を以て、我々はアイデンティティー、つまり性格、自分らしさを形成していく。これは自分、これは自分ではない。この場合、自分はこう思うはずだ。上の酒の例でいえば、「酒好き」というのは自分の性格、属性の一つである。属性というものには強弱があり、これも必要とあらば形成していく。つまり、自分の中に過去から今まで形成された属性を以て、自分の行動を自分に対して説明し、正当化するのがこの原因帰属のみそだ。私はこういう人だから、こういう行動を起こす、と言ったらあまりにもシンプルだろうけど、突き詰めればそういうことだ。

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さて、ここで服に戻ってみよう。一般人が服を買う理由としては色々あるけれど、どちらかといえば現代人にとって機能的な面よりも美的、美学意識をそそる服をほしがり、来たがる。ましてや、服をもって自分という人間のアイデンティティーと密接な関係を持つ今はこの面がさらに浮き彫りになった。服は自分を相手に見せ、自分がどういう人間だということを非言語的コミュニケーションを使って伝える有効な手段だ。

なら、このことに「服」とか、「ファッション」というのは問題ではない。服とは、美意識を伝えるためのツールで、服を買い込むことはそのことを伝える方法、また幅を増やすための行為であろう。となれば、資本主義者はこの理論に飛びつくだろうけれど、私も残念ながら自分を資本主義者として認識してしまっているからどうしようもない。

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社交的な人間ほど服を買うのは、おそらくこういうことなのだろうね。アイデンティティー形成のために服という手段を有効としてみなさない思考や性格の持ち主にとってはまさに金の無駄だろうね。かといって、もちろん皆毎日そこまで考えているわけでもなく、むしろ無意識にこういう社会的態度が生まれ、育っていくのだろう。

ともかく、私はいいと思った服をいいと思い、だからこそ着たいと思う。いうって見ればただそれだけのことに、何百字も費やしてしまう。人間でもある。これだけ高性能な思考を以てもなんと非効率的なことか。早く皆精神的生命体に進化できないのかなぁー

しかし、それはまた別のときの話。