万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

雨の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

梅雨が明けようとし、今週の初めからようやく遅めの蝉時雨が到来し、まるで駄洒落のように今週私は「雨」をいつも以上に意識するようになった。思えば、昨日なんかは朝から期末試験に出かけ、家を出た時にあんなに青かったあの空が、四ツ谷駅の地下から出ると豪雨が降りしきり、改札前に傘を忘れた人だかりができていた。その場にいた人間なら聞いていたかもしれないから少々恥ずかしいけれど、私は逆に気分上々になり、小声で「くっっそくらえぇぇーー」みたいな声を出して駅ビルと後者の間の数百メートルを一目散に全力疾走したのだ。

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そう、私は雨が無意識のうちに好きになっているのだろう。思えばオランダはいつも雨で、イギリスには負けるのだが春雨や秋の嵐のような天気なんてお手の物である。それが今秋国中40度を超えたりしていると聞くといよいよ「温暖化」や「異常気象」なんて言葉が浮上してくるのだけれど、そんなの今更で感動したり、逆に心配になったりすることすらない。

そんな今週の気分で、私は今日いよいよ「天気の子」を見に行くことにした。というのは鬱々とした気持ちを晴らすためとか、そのような比喩で解釈されがちだけれど、上の通り私は雨にそこまで悪いイメージを持っておらず、雨の日家に帰ったら母親がたらいに温かい水を引いていたり、ホットチョコを準備していたりしたあの小学校の日々を先に思い出すのだろう。むしろ雨は「悠々自適」だとか「忘我状態」の方が近いわけだろう。

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とにかく、一日の学校が終わり、私は以前から行こうとした麹町のオアシスのような公園を訪れ、無我夢中に思うがままに写真を撮ったりしていると上映時間が迫っているのに気づき丸ノ内線で銀座に向かって、日比谷のミッドタウンの某映画館でIMAX版を見ることにした。これもまた「浸る」という言葉に相応しい高品質な空間で、映画で表出される雨がますます臨場感を以て伝わってくる。

映画の冒頭の方に、主人公の少年が地元の神津島から東京港に入る船に乗っているとき、大雨警報にもかかわらず船橋にでては、現実じゃ到底あり得ないぐらいの「雨の幕」に当たり、その時彼を助けた小栗旬さん演じる須賀さんとの良縁を結ぶ。それはいいとして、このシーンを見ている私の脳内にぱっと浮かんだのが「楽しそう!」という言葉だから、もはや私の雨好きは病的なのだろう。

そして映画が終わっても、私はしばらくその気分に浸っていた。良い映画を見終わった後、私はいつも酔っぱらったようにしばらく無口に浸っていた後、滝のようにしゃべりだすくせがあるのを、中学校ぐらいから自覚している。本も道論争なんだけれど、いかんせん一冊を読むのに時間がかかるから、映画と違って読み始めた時と読み終わったときに同じ相手が自分に付き合ってくれているかどうかは分からない。その点が、映像が文字媒体に優れている一つのポイントであろう。

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今でもかたくなに私は頑なに河童を「息苦しい」を理由に執拗に拒みながらも、毎日毎日「シャワー」を心待ちにしたりするから、これはもう人間の本能的なものかもしれない。人間が本能的に感動を抱くもの、五本の指の中に当然「天気」も入るのだろう。「言の葉の庭」などもあるから、新海先生もおそらく雨好きなのだろう。まぁ、雨好きだからと言ってわざわざ雨が降る度に濡れに行くやつなどいないと思うのだけれど。

しかし、それはまた別のときの話。