万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

また夏の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

今日はほとんどなにもせずに、ただ品川まで無駄足を踏み、やろうと思ったこと全くできずにおめおめと家に帰って、生活に必要最低限のことだけをしてきた。夏休み初日なのだからそれでもいいのだろう、とは思いながらもなかなか「効率のいい人生」の理想に近づいたりはしない。そういえば、いつから私はそんな理想を持つようになったのだろうか?

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去年の7月なかごろ、私は夏のことを描いているが、今にして思えばあれはまったく「ぬるい」夏なのだなというしかあるまい。今年はオランダはオランダですでに40度を超えてしまったりしているし、こちらも35度の日々が続き、それなりの支度をしてからでないと熱中症という名の夏の悪魔に体が消耗してしまい、なにもかもがいやになる。

それと同時に、夏は大学院生という道を選んでしまった私にとって拘束時間が一気に減ってしまう時期でもある。かといって、やるべきことがないわけではない。せっかく夏だから名一杯読書するのもよし、旅行行くもよし、いやその為にはバイトもするからとバイトの段取りをつけておいたがなかなかバイト初日が来ない。そんなことより来月中旬の大学院入学試験の準備をせねば、と思いつつも一日のスケジュールがなかなか決まらない。昔から、私は他人の下で働く法がむしろ効率よくてよいと思っている口だ。

なんてことを言ったら、100年人生を効率よく生き抜く人間にはなれやしないだろう。それよりも今からでも明日から毎日せめてこれをしようと思えば思うほど予定が狂うのが夏である。ああぁ夏よ、どんな季節よりもあなたはどうしてこう人の行動力を削ぎ落とすのだろう?

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炎天下の下を歩くのがつらくてしょうがない時は、偶に逆にそれさえも楽しもうとする自分を発見してしまう。痛みが体が「ダメだ!」と訴えているのなら、その痛みを無視して行動するのはある種の背徳感を求めてのことだろう。大人になるのにつれ、そういう変な遊びを覚えるのは私という人間かもしれない。

しかし、実際夏はあと1ヶ月半ぐらいは続く。その時間をどうつぶすかではなく、埋めるのかが正しい命題だろう。私にとって良い夏とはなんなのだろうな。やっぱり、できることなら伊豆列島で安宿で毎日食うや食わずの文豪的生活を望んではいまいだろうか?それともサークルの人とどこかの高原での夏のキャンプで飲み明かすことだろうか。まずは考えることから始まるのだ。というよりも、途中から「あれ、意外と予定大分埋まっているのでは」ということになるのも、私の人生だ。

しかし、それはまた別のときの話。