万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

旧交の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ!

発信を目的としたこのブログも、読み手が少ないにせよ、一か月も投稿なしというのではさすがに淋しいことである、と今心に浮かべながら久しぶりに文章を書く。思えばこの夏、文章も書かず写真もほとんどとらず、ただ徒に院試という大きな壁を乗り越えるための材料をいろんなところから引っ張り出そうとして、大してすごい発見もなく今年も秋が来たわけだ。こんな淋しいことはあろうか。されど、それも私の人生だろう。

大学の試験が終わっても、人生はいつも次が控えている。真面目に将来と向き合って積極的にキャリアープランを描いているとは到底言いづらいけど、それでもある程度はやるべきことをやって、9月も暮れになるとアルバイトが三個、新学期も到来し、久しぶりに旧友と会ったり新しい出会いもそこそこに、という感じである。

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わが校のシンボル、ヨハン・ファン・オルデンバルネフェルト

そういえば、今日文章を書こうと思ったのには割と立派な理由があったのだった。そう、同じ高校の女の子(早生まれで年は一個違うので22歳であるが)がオランダではそれなりに知られている政治を議論するテレビ番組に出演していることをFacebook通じて知り、驚愕した。そもそも、彼女の名前を最後に想起したのはいつなのかすらわからない。高校を卒業して以来、はたしてあるのだろうか、と、首をかしげることになった。

その女性とは、大して親しくはない。一緒のクラスになったはないし、二人で話すことなどほとんどないはずだ。割と高校生にしては大人びたルックスと性格で、なんとなく冷たい印象があって、中学校までまぁまぁねぐらだった私からしてわざわざ話そうと思うこともなかった。ただ、美術の授業が一緒で顔を合わせることはそれなりにあって、その時仲良くしていたもう一人の女の子と仲がいいと、そんな友達とも知り合いともつかぬ曖昧な関係性。

そう考えると、高校生の時分の知り合いって、そういう人が非常に多いのだろうってことに気づく。小さめな学年なら全員の名前と顔を憶えていてもおかしくはないし、オランダは6年制で中高一貫、選択授業とかもあるから大体の人とは一回ぐらいは一緒のクラスになることがある。その点でいえば典型的な日本の学校とは全く違くて、縦のつながりよりも横のつながりが強く、クラス横断して仲良しグループができやすい。

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彼女の名前をちらっと見て、そのテレビ番組との組み合わせにはまず驚いた。その年でそういう番組出れるものだな、と思ったら、彼女の父親はオランダでは元大学教授で、それなりに名前の通ったフリーのジャーナリストということを思い出した。多分、その父親とも一遍は誕生日会か何かで顔は合わせていると思う。そのコネで、という胆略的な考えはあまりにもひどいけれど、それにしても大抜擢である。

今ではその女性はウォースタディーズという、戦争、紛争地域、軍隊、核兵器競争とかのキーワードが並ぶ論文を出しているようで、同期としてなかなか強いプレッシャーを感じることになった。私はと言えば日本にわたって相変わらず器用貧乏を極めているものだから、恐ろしいほどだ。

それにたいして、他の当時のクラスメートは、今どうしているのだろう。あの時の友達と未だにまめに連絡を取っている人は、正直一人もいない。器の小ささの表れとも取れるけど、日本にいったん精神の大部分をささげてしまった私は、いつのまにか母国と一線を画してしまって、自分がそこで築き上げたものや作った友達をも「過去のもの」にしてしまっている。黒歴史では決してないが、今の自分の日常にその頃の何かが影響を及ぼしてくることはまずないと、どこかで思った。

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今はなき、わが校の跡

そしたら、ほらどっこい、いきなり現れたのがその人だ。当時大して親しくもない相手にここまで精神的に追い込まれるとは、私もまだまだ弱い人間だ。ただ、あの頃のあの人は今どうしているのだろう、というあまりにも陳腐な考えを、いつの間にか楽しむことができるようになっていた。これはやっぱりよい兆候なのではないかな?

中学校、高校の頃はそりが合わない人、憧れる人、なんとなく仲良かった人と、そういう他人とも知り合いともつかぬ人々と一緒に6年間一緒に日常を過ごした。その純然たる事実がまるで稲光のように今晩落ちてきた。そして、たまには「将来、この人はどうなるのだろう? そして、私自身将来何をするのだろう」と思ったりもしたはず。

でも、今は敢えてこう言いよう。将来とは、今だ。あの時のあの人はまさに今週テレビに出ている。妹はスェーデンの院に行って、あの時のクラスメイトと同じような研究をしている。

私も今現に日本まで来て、あわよくば日本で出版業界の研究というのを4月からやることになっている。Mindfullnessというのが一時期はやってた(いや、今も流行っているかもしれないけれど)それはつまりこういうことなんだろうなぁー、と妙なところに感心してしまう。

しかし、それはまた別のときの話。