万屋「和華蘭堂」

きまぐれに、というかその日の気分で毎日話題決めて徒然と書きます

日光の話をしよう

ようこそ、万屋「和華蘭堂」へ

先日、日光に一泊しに行った時の話だ。王子の住まいから赤羽、栗橋を超えて、東武日光線で栃木県に初着陸。昼頃について、勿論まずは神橋を通り、東照宮を見てみたが、本命はここではない。唯一面白そうなのは17世紀にオランダから献上されたという言い伝えのある回転灯篭のようなもので、陽明門よりも私は唐門を見入った。

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それらを脇において、少し奥まで登って、有名なイギリス人女性のイサベル・ベルが日光の山々に入る前に泊まった金谷ホテルの前を通って、戦時中に天皇を匿った田母沢御用邸を見物した。途中から人影はなくなり、太陽が少しずつ暮れてゆく。館内の従業員だけが各所に立っており、写真OKと言われたにもかかわらずなんだか写真を撮ることを臆してしまう。
田母沢御用邸をあとにし、しばらく閑散とした住宅街を歩き、終いには立派な吊り橋にたどり着いた。太陽が川上から射してきて、なかなか神秘的な光景で、つい言葉に「すごい」と言ってしまう。橋ヲタクの時分には堪らない。帰り道の途中から山々の中に姿を消す。山間にある中禅寺湖から日光の町に流れる大谷川は時に激しくなり、吊り橋の脇にあったお堂も残っていなかった。

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川の向こう側にある憾満ヶ淵にあった慈雲寺も白いペンキで塗られたお堂しか残っておらず、明治時代にたくさんあった地蔵は、そのころに起こった大きな洪水以来、そ数はずいぶん少なくなったと聞く。正式な数が何度数えても定まらないから、ちょっとした都市伝説になっているということらしい。川沿いに中禅寺湖の上に聳え立つ男体山から放出された溶岩が今も残っており、まるでプラスチックでできたような塩梅だ。  

そんなところに、誰が住もうと思うのだろうか。まずでもって、日本は住むには適しない国というのはよく聞く。火山、地震、台風やらの天災が多く、山と海の間の僅かな平野でかろうじて農業を行う形だろう。日本が国として成立しようとしていた奈良時代に、日光の地を開山したのが、勝道上人という人らしい。

もちろん、それ以前にも人が住んでおり、火山や滝、湖などもそろっているので修験道の場としても有名だけれど、この時代に二荒山神社や滝尾神社が成立し、その周りに人が集う。もっと現代風にいえば、立派な開拓者である。 アメリカ風にいえば日光のピルグリム・ファーザーといったところだ。 

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これらの話を教えてくれたのが、日が暮れてから入った居酒屋の常連のおじいさん。今回の旅はとりあえず日光駅近くのゲストハウスで、Guest House Tora(その名も、主の名前のままらしいが)に泊まるだけを決めていたが、勿論一人旅の醍醐味である一人居酒屋も欠かせない。相談するまでもなく、トラさんは早速歩いて数分で夜遅くまでやっているところを教えてくれる。日光は、たいていの店が9時に締まるらしい。この時には温度も零度近くになってきていたので、それも頷ける。

驚いたことに、その居酒屋で一緒に飲むことになった方は地元の人でも何でもなく、数駅離れた池袋の住民だという。東京に住みながら日光愛好家として頭角を現しており、店の店主にも一目を置かれているようだった。酒席を共にした者同士、自然に打ち解けつまみながら焼酎のロック割を飲む。地元かどうかわからないけれど、山芋の紫蘇揚げ、とろろをご飯にかけたどんぶり、あん肝などをいただく。店の看板メニューがどうやら花結だが、材料も味も残念ながら記憶から消えてしまった。  

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隣のおじいさんは交流が広く、勝道上人の話の傍らにわが大学を卒業し、仕事の合間に修験僧をしている話や、千日山の中を走り、千日修行なるものを見事にコンプリートした修験僧の話もしてくれた。山の中を走るなら托鉢というわけにもいくまい。第一調べたら日本では明治以降托鉢の類は禁止されている。空気を飲んで雲を食べるのも仙人じみているし、これは現に生きた人間のしたことだから、居酒屋の席で私が結局最後まで答えられなかったのは「彼はいつ、なにをたべるのだろう」という疑問だった。

残念ながらその答えはまだ得ていないが、彼との交流でまたいっそう日本で生活するうえでのヒントを得た気はする。フェースブックで居酒屋遍歴を投稿しているようで、今後も登録させてもらうことにした。ちなみに、この日は修験僧の友達を途中で呼び出してくれ、夜中の2時までやっているボードゲームカフェーに凝っているバーにも紹介してもらったが、修験僧は東京で打ち上げをしていたらしく、結局会わずじまいだ。

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次の日起きたら意外と二日酔いもなく、さっぱりした気分で朝食をいただく。両脇にはオーストラリアとアメリカから来た女性観光客、後ろのバーには店主のトラさん、奥のテーブルに日本人のおばさんが数人。久しぶりに知らない人と英語で会話し、日光のスポットを話すうちに、一人の女性から「昨日もう行ったので、よかったらどうぞ」と2100円もするバスのフリー切符をいただく。これだからゲストハウスはよい。まず、来る人が易しく、寛容である。

そんなわけで、いろは坂を登って華厳の滝中禅寺湖へ。京大で覚えたはずのいろは歌だけど、「わが」までが限界だった。12月初旬もあって、滝の土産屋もしまったものも多く、中禅寺湖のほとりを歩いて中禅寺の方に足をむけると人気が一気になくなる。むしろ廃墟っぽいビルが目立ち、一年の数ヶ月は全く活気がないのだろう。鳥居のある交差点に某大手ホテルチェーンの新事業の工事があって、対照的でおかしくなる。

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上の中禅寺(というより、日光を知ったきっかけ)が今回も例の京極先生である。京極同シリーズの主人公の実名が中禅寺明彦なので、思い入れ伸ばしなのだろう。そういえばいまだにでない「京極堂シリーズ」の新作も奥日光を舞台にしていたな、と思って訪れた中禅寺である。

ただ、古い割には僧たちは皆弁が立っており、商魂たくましい方々で驚く。博物館のように入場料金を払い、タイミング的にちょうどご高齢な方のグループに混ざって、打ち出の小づちや、色が変わる不動明王のお守り(黄色が一番レアだから頑張ってゲットしよう!の解説付き)などを押し付けられる。お寺も資本主義だなーとぼんやり思う。

帰る前に、居酒屋の方に教えてもらった東照宮の奥の方の滝尾神社も訪れたが、石畳を歩くと視線が下にいくばかりで、電車に戻って本を開く。やっぱり長距離の電車は読書がはかどる、と思うともう東京の明かりが見える。そして、新しい週が始まる。新年まであと三週間余りで、今年何を成し遂げたのだろう、と不安になる時期になってきた。

しかし、それもまた別のときの話。